第十三話「鎮撫総督」

 慶応四年二月、この月の初めには祐一郎たちに大きな成長があったが、
 歴史の表舞台もまた、大きな流れを見せている。
 後に凄惨な死闘を繰り広げる会津戦争、
 その幕を開くとも言える儀式が行われようとしていた。
 場所は京の御所である。
 二月一日、京で政治を動かしている参与(強権を持つ議員のような者)たちによって、
 ある方針がまとまった。
 「では、これが各方面の人事として決定してよろしいですな?」
 公卿岩倉具視の言葉に、一同頷く。
 だが、頷く勢いがいいのは薩摩の者のみで、諸藩の人間の顔色は冴えない。
 というのも、この日決まったことは「関東親征の方策」なのである。
 この草案は西郷隆盛、大久保利通の薩摩、というより新政府の二大巨頭によって作られ、
 大久保とセットで扱われる公卿岩倉具視によって実物となった。
 要するに、薩摩の独壇場である。
 諸藩、とりわけ長州人が不快に思うのも無理はあるまい。
 それはさておき、ここで決まった主な人選を書いておく。
  (本隊)東海道軍  総指揮官 西郷吉之助(薩摩)
  東山道軍  総指揮官 乾退助(土佐)
  北越道軍  総指揮官 黒田了介(清隆)(薩摩)
 これら名義上では参謀であり、複数存在する。
 その中で、後の物語に関わる人物を含めて多少挙げておこう。
  東海道軍には、薩摩藩の軍(いくさ)奉行で伊地知正治、
   西郷、大久保と並ぶ古参薩摩志士で海江田信義、
  東山道軍には、因幡鳥取藩の志士あがりの河田佐久馬、
  北越道軍には、長州の百姓上がりの下級藩士で山県狂介(有朋)、
 見てわかるように、薩摩色が強い。
 土佐の乾退助も西郷への同調者である。
 別にこれは薩摩の独断専横ということではなく、
 長州が薩摩を兄貴分に立てていくという方針のためである。
 本来ならば、軍事の天才の大村益次郎を加えるべきであったが、
 この方針のために、
 足軽がちょっとばかし偉くなっただけのような山県を送り込むこととなった。
 無論、彼もまた軍事の才能はあるのだが。


 で、大村はどうしていたか。
 彼は二月七日、木戸に呼ばれて伏見に到着している。
 目的は、御親兵という朝廷直属軍の駐留基地を作るためである。
 彼はそれを、かつての新選組屯所、伏見奉行所跡に作ることにした。
 その折のこと…
 「大村様、ここで薩摩と会津や新選組との間で激戦が行われましてな。」
 「………」
 「その白兵突撃たるや、すさまじいものがあり、薩摩も一度は負けるかと思ったほどでして…」
 「そうですか」
 と、全く感心がない。
 大村は伏見奉行所が基地として適しているかどうかが気になっているのであり、
 新選組や会津兵がどれだけ勇敢だったかには興味はない。
 彼は過去の感傷に浸るということがない人物なのである。
 「中でも川澄舞という使い手がおりまして、
 その者は木の上に潜み、闇に紛れて木から飛び降り、薩摩兵二人の額を一瞬で割ったとか。
 その直後には一瞬のうちに五人の兵士の足を斬っていたそうで、その時は大混乱でした。」
 熱っぽく語っている者は長州藩士である。
 既に戦からは一ヶ月経っているのだが、未だ興奮さめやらぬようだ。
 しかし、どうも薩摩に対する反感が会津や新選組の武勇伝を語らせている節もある。
 この辺りは愛嬌であろう。
 「しかしまた、どうしてこうも金がないのに薩摩は戦を続けたがるのでしょう?」
 「………」
 「金もなければ兵士もいない。本気で幕府に勝つつもりでいるのでしょうか?」
 「………」
 「大村様、果たしてこの戦に勝つには…」
 「わかりませぬな。」
 大村は振り返りもせず言った。
 「この戦はどうやら政治がものをいうようです。」
 先述したとおり、鳥羽・伏見の戦いもそうだった。
 「私には、政治や時勢というものは分かりませぬ。」
 「はぁ…」
 大村は政治に口を出すことをしない。
 その点では、長州は近代的な思想を持っていたと言えよう。
 長州藩だけは政治が軍事を支配している。
 現代で言えば、シビリアンコントロールが存在するのだ。
 この戦は、大村の軍事オンリーの観点からでは、全く勝敗の予想が付かないのである。
 「ここにしましょう。」
 「え…?」
 「ここに、御親兵を置きます。」
 大村は、冷静な声でそう決定した。
 この日、大村は新政府軍事の事務方に就任している。


 二月九日、再び御所内、
 「それでは各方面の鎮撫総督の方々の御名をお知らせいたします。」
 この日、各方面軍の名目上の最高司令官となる公卿たちの名が発表された。
 これをもって、討幕軍の全容が明らかとなる。
 そして、既に三日に徳川慶喜を打つ勅命が出ている。
 本来なら、今日の段階で既に準備は整っているのだが…
 「ええさて、東海道鎮撫総督には有栖川宮熾仁親王様…」
 これが名目上の全討幕軍の総責任者となる。
 ちなみにここにはもちろん大村の顔はない。
 新政府の政治の顔ばかりである。
 その一同の中を、次々と名前が読み上げられていく。
 そして…
 「奥羽鎮撫総督には九条道孝様…」
 この九条家の貴公子が、後に祐一郎たち奥州人に深く関わるのは言うまでもない。
 ………
 こうして名前が発表され、各軍の人選は決した。
 だが、容易に軍は動かない。
 「早くせねば、幕軍が息を吹き返しますぞ!」
 再び御所での会議、大久保一蔵が早期征伐論を繰り出した。
 「しかし…軍を動かす金がございませぬ。」
 幾分気恥ずかしげに土佐の後藤象二郎が反対する。
 土佐には兵糧代すらおぼつかない程度の金しかない。
 「無理にでもやるしかないでしょうな。」
 岩倉が薩摩に同調する。
 「…致し方…ございませんな。」
 長州の広沢兵助も仕方なく同調する。
 薩摩の方針に反対するべきではなかったからだ。
 そもそも、長州にも何とか資金はある。
 「でば、数日のうちに軍を出発させることといたしもそ。」
 西郷吉之助が締めくくった。
 土佐の面々は浮かぬ顔だ。だが、これ以上反対する術はなかった。
 「ところで…」
 岩倉が陰謀家の顔つきで一同を見回した。
 「既に中山道には赤報隊が向かっておりますな?」
 「左様で」
 大久保が答えた。
 赤報隊は征東軍の先鋒として、中山道筋で徴募された兵で構成される部隊である。
 一番隊隊長は上州浪人で相楽総三、薩摩がよく使ってきた男である。
 江戸で暴れさせ、幕府に薩摩を攻撃させて討幕の機会を作らせたこともあった。
 「それはよいのですがな…彼らが『年貢半減』を公言しているのはいかがなものかと。」
 「しかし、我らも黙認してきたではないか。」
 広沢が言う。
 「だが…この資金難、そのような余裕がございますかな?」
 「う…まあ、それは…」
 「すぐに取り消させるべきではございませんかな?」
 「まあ…確かに」
 あちこちで同調の声が上がる。
 西郷は不満そうだが、大久保は同意見のようだ。
 「では、すぐに乾退助殿に呼び戻すように使者を送らせると致しましょう。」
 「しかし…反対した場合にはいかがいたしましょう?」
 「そうじゃな…」
 岩倉も思案する。
 「首をはねよ。」


 東海道軍、東山道軍が出発した。
 前土佐藩主の山内豊信は、
 「金は後で何とかする。とりあえず出発せよ。」
 と命じ、また同時に、
 「天尚寒し、自愛せよ。」
 の名言を残している。
 「まだ寒いので、身体に気を付けよ」という意味だが、
 藩主直々の言葉に土佐兵は勇躍した。
 その土佐の乾退助、途中の美濃大垣城で岩倉から一つの策を授けられた。
 「甲州には武田家への愛情が強く残っておりましてな。」
 岩倉はそう言った。
 「そのようですな」
 乾退助は頷いたが、これは全国的にも有名な話である。
 武田信玄は何百年経っても講談で語り継がれる英雄である事は間違いあるまい。
 「その中で、板垣信方という名将がいたのをご存じであろう。」
 「板垣…」
 乾退助は「ああ」と、手を打った。
 というのも、彼の家にはその板垣信方の子孫という伝説があるのだ。
 ちなみにこの板垣信方、
 武田信玄が若い頃からの補佐役として、その才を発揮した男である。
 北信濃の豪族の村上氏との合戦で戦死し、信玄は大いに悲しんだと言われる。
 そういうわけで、当然甲州人からの人気も高い。
 「どうであろう。そなた、板垣に改名しては?」
 「なるほど…」
 新政府軍の総大将があの板垣の子孫と思えば、
 甲州人も喜んで新政府軍を迎えると読んでのことだ。
 「承知致した。」
 こうして、後の自由民権運動家、そして会津戦争指揮官の板垣退助が誕生した。
 まあ、これは余談だ。


 それからしばらくして、場所は江戸城である。
 そろそろ穏やかな陽気が漂うこの季節だが、ここは別世界である。
 この男も例外ではなく、長い廊下をうろうろしながら困惑していた。
 甲府城代で佐藤駿河守、困惑の理由は板垣率いる東山道軍である。
 現在ゆっくりとながら中山道を東上している。
 「ああ、困った…」
 口にしてもどうにもならない。
 というのも、東山道軍の前に、幕府直轄地の甲府百万石は空き家も同然となっている。
 このままでは新政府軍の取り放題となろう。
 鮎のつかみ取り以上に容易いつかみ取りである。
 そこに、滑り込むように一人の男が話しかけてきた。
 「これは佐藤殿、お困りのようですな?」
 「ああ、勝殿か…」
 「どうやら甲府のことでお悩みのようですな。実はそれについて拙者に妙案がござるが…」
 「はて、妙案ですと?」
 ………
 この時、新選組局長の近藤勇も江戸城にいた。
 そろそろ城を出て、屯所へ戻ろうとしていたときであった。
 「近藤殿!」
 そこに佐藤が声を掛けてきたのである。
 「これは佐藤様、どうなさいました?」
 「そなたに面白い話があるのだ。」
 「面白い話? 何でございましょう?」
 ………
 「歳! 歳!」
 「なんだい、近藤さん。えらい騒ぎようだが。」
 間もなく、近藤は屯所にいる歳三に大はしゃぎして話しかけていた。
 「ついにやってきやがったのよ。」
 近藤が言うには、佐藤から大層な話を聞かされたという。
 話というのは、新選組の手で甲府城を占領してしまって欲しいということだった。
 つまり、つかみ取り状態の甲府城を新政府軍の手から守ろうという策だ。
 「さらにだな。」
 近藤が興奮して言う。
 「なんとこの報酬には甲州五十万石が付くってことよ!」
 「ほう、それはまた気前がいいな。」
 だが、歳三の方は冷静である。
 当然である。
 誰がこの時代に本気で五十万石大名になれるなどと考えようか。
 いわば近藤は旧幕閣(しかも非公式)の口車に乗せられているようなものだ。
 だが、この際にはそれはありがたい。
 「歳、ついに大名だ。しかも五十万石だぞ!」
 近藤がこんなに大喜びしているのは久しぶりのことだ。
 それが歳三には喜ばしいことである。
 自分たちの隊長である近藤がこれだけやる気になれば、隊全体が活き活きとしてくる。
 (大名話なんぞどうでもいい。これで薩長と喧嘩ができる)
 歳三は一人でニヤリとした。
 「あははーっ、とうとう大名になれるんですねーっ。」
 佐祐理さんも近藤の喜びに同調する。
 舞はタコの酢の物を箸でつつきながら、いつもの表情でそれを眺めている。
 屯所は異様というより不思議な熱気に包まれた。
 「よし、歳には五万石、倉田君にも三万石は固いぞ。」
 「あははーっ。」
 「…近藤さん、あんたはいい人だな。」
 「なあに、五万石くらいの恩はお前にあるさ。」
 近藤は歳三の思考とは違う意味でとらえていた。
 近藤の満面の笑みに、歳三も苦笑はしたが気にする様子はない。
 「さて、そうと決まれば早速兵を徴募しなくちゃならねえ。驚くな、何と幕府から五千両もの軍資金が出た。こいつははやいとこ手を付けねえとな。」
 「そいつは…」
 と、歳三が言いかけたとき、
 「……行ってくる。」
 舞が既に下駄を履いていた。
 「あっ、待ってよ、舞ーっ」
 佐祐理さんもすぐに刀を持って玄関へと向かった。
 「………」
 「…仕事が早いな、川澄君は。」
 「ふふ、近藤さんがやる気だからね。」
 「なに、誰だって大名になれるって聞けばやる気が湧くものだ。」
 「そう願いてえ。」
 歳三は、そんな無邪気さを貴重なものと思った。
 確かに、皆にこの無邪気さがあれば、どんなにか隊はやる気が出よう。


 所変わって会津藩邸、展開を急にする一大事が起こっていた。
 「殿、荷は整いましてございまする。」
 「うむ…ご苦労。」
 何故か藩邸では時ならぬ引っ越しムードが漂っていた。
 屋敷の主人である松平容保も心持ち暗い顔である。
 実は、二月八日に将軍慶喜からとんでもない命令が届いていたのだ。
 「江戸城登城禁止令」である。
 (捨てられた…)
 そんな思いが江戸の会津藩士の中に漂った。
 朝廷に捨てられた挙げ句、ついには将軍にまで捨てられたのだ。
 もはや脱力感に襲われても無理からぬ所である。
 さらに二日後の十日には、弟の桑名藩主、松平定敬ら24名にも同じく禁止令が届いた。
 勝海舟の策である。
 慶喜はこれに乗り気ではなかったが、江戸を守るという大義の前に屈した。
 つまり、勝はもとより江戸で戦をする気はなく、
 新政府との間で平和交渉を行うつもりであったのだ。
 それには、京都で恨みをおびただしく買っている会津はもちろん、
 主戦論を唱える諸侯を江戸城から去らせる必要があったのだ。
 …もちろん、その中には新選組も入っている。
 では、先の甲州行きの話はいかなるものであろうか。
 「殿、梶原平馬殿ら江戸残留を訴える者はいかがいたしましょう?」
 そこに江戸家老の遠野が現れて尋ねた。
 「…そうか、敢えて連れていく必要もあるまい。彼らの志を無下にするわけにはいかぬ。」
 「承知いたしました。では、我らは可能な限りの武器弾薬を会津へと持っていくことで。」
 「うむ、そうしてくれ。」
 遠野は一礼して去ろうとしたが、ふとその足を止める。
 「殿…」
 「どうした。」
 「戦の大義、見つかりましたかな?」
 「そのことか…」
 先日、佐川たちと共に話し合ったときの話題である。
 容保は少し考えるような仕草を見せたが、迷いなく答える。
 「大義、大将のない戦…なるほど、それは確かに絶望的かもしれぬ。」
 「……」
 「だが遠野よ、意味はあるぞ。」
 「それは…」
 「会津という故郷、それは我らの昔の記憶そのものなのだからな。我らの心のよりどころは、もはや会津にしか残ってはおるまい。」
 「会津若松の地…でございますか?」
 「この上朝廷が我らの故郷までも奪おうというのであれば、それを守る。この義心こそが大義そのもの、それではいかぬか?」
 完全に封建体制下から生まれた古い思想である。
 だが、そこには「土着ナショナリズム」という新しい時代に必要な思想も存在する。
 ここでこのような後の「愛国心」に繋がる新しい思想が出てきたことには注目してよい。
 それでもやはり、明治維新という流れには明らかに逆行するものである。
 だが、遠野(というより会津藩士)にはそんなことは構わない。
 「とんでもござりませぬ、この上なき見事な大義でござりまする。」
 感服した様子で、遠野はぺこりと頭を下げた。
 「うむ、そうであろう。」
 ここしばらく顔が晴れることのなかったこの会津藩主に、久方ぶりの笑顔が戻った。
 遠野はそれを見届けるや、再び一礼し、荷造りの現場へと戻っていった。
 遠野凪右衛門、
 この江戸家老は先祖が陸前の遠野(現在岩手県遠野市)出身の武士である。
 何代か前に会津藩に仕え始めたようで、どうも元は正規の武士の家ではなかったようだが、
 現在では、新興の家柄ながら会津松平家の大物である。
 その遠野までもが会津という故郷に対して狂おしいばかりの愛情を持っているのである。
 その何とも言えない爽快感が、この朝敵大名の心を満たしていた。
 そして…
 二月十六日、会津藩主松平容保をはじめ、会津藩の一行は江戸を旅だった。
 荷には幕府陸軍やフランス商人から手に入れた武器弾薬を積んで。
 一行には遠野凪右衛門や佐川官兵衛も含まれている。
 江戸に残って抗戦する決意を持つ者を除き、こうして会津の壮士は江戸から消えた。
 残った藩士はそれぞれ抗戦し、生き残った者は会津へと収束していくのである。


 会津藩は去っても、新選組は独立して戦意旺盛である。
 共に甲州で戦う同志を求めに、とある旗本の屋敷へとやって来た。
 佐祐理さんと舞がここで熱弁を振るっている。
 「…と、そういうわけなんですよ、私たちと一緒に戦いませんか?」
 「いや、私は…」
 「あははーっ、お金のことなら心配要らないですよーっ。」
 「そうではなくて…」
 旗本は額に汗しながら言葉尻を濁したままである。
 佐祐理さんも舞も本心がつかめずに困っているようだ。
 「ふぇ…? 何か問題があるんですか?」
 「せ、拙者は人並みの武芸もなく、洋式戦術とやらも全く知らぬので…」
 「そんなこと気になさらないで下さい。それに旗本八万騎というじゃないですかーっ。」
 「そ、それに拙者は隠居の身…」
 「隠居?」
 舞が不審そうな目で見る。
 無理もない、どう見ても目の前の男は健康的な壮年男である。
 この年で隠居というのは明らかに妙な話である。
 …だが、これには別の事情がある。
 長州征伐の折、幕府は旗本に出陣を呼びかけたが、
 太平に慣れて臆病風に吹かれた旗本たちは、
 出陣費用がないと言ったり、隠居して出陣を逃れたりしていたのだ。
 まったく、ここまで旗本がふやけてしまえば幕府の敗亡もいたしかたないのかもしれない。
 「…まだ若い。」
 「…え?」
 「そうですよーっ。この際、隠居なんてどうでもいいじゃないですか。」
 「いや、だから拙者は武芸は…」
 「それは心配ない。」
 突如、舞が立ち上がった。
 さらに、一体どこに持っていたのか、竹筒を手に持ち、中空に放り投げた。
 たちまち舞の刀が鞘を離れ、その中空を二、三度なぞる。
 数が増えた竹筒が畳の上を転がるのと同時に、舞が刀を旗本の目の前にまで突き出した。
 舞からすれば、「武芸のことは心配無用」と言いたいのだろうが、
 やられた方はそうは思わない。
 「ひえ…」
 当の旗本は不必要なほどのすさまじい形相でおののいている。
 舞は気づかず、眼球だけを旗本に向け、誇らしげに宣言した。
 「…私が教えるから。」
 「一緒にやりませんか?」
 この上なくさわやかな笑顔を見せる佐祐理さん。
 だが…
 「……だ…誰が参加するか、畜生! と、とっとと帰れ!」
 旗本はそう言うや否や、転げるように奥へと駆け込んでいってしまった。
 あとには、手持ち無沙汰な抜き身の刀を持った舞と佐祐理さんだけが残った。
 「…また、ダメだった。」
 「はえ〜、なかなかうまくいかないね〜。」
 佐祐理さんが白紙の紙を懐にしまう。
 舞も刀を鞘に収めた。
 「舞、やっぱり銃の方でやらないと、印象が弱いみたい。」
 「…でも、五十万石。」
 「でも、戦は銃でやるんだよ。」
 「………今度からそうする。」
 …と、まあ二人は別の所に問題点を見いだしているようだが、
 結局の所、どこも募兵は容易には進んでいなかった。
 旗本や御家人にはもはや戦意がある者は残っていない。
 多少なりとも戦意ある者は既に何らかの活動をしている者ばかりである。
 そんなとき、新選組にある助言者が現れた。
 医学所で沖田総司を見舞っている最中のことである。
 「駄目だな、どいつもこいつもやる気がねえ。」
 斉藤が愚痴りながら仰向けになる。
 その隣では沖田が布団から半身を起こして医師の診断を受けていた。
 さらにその向こうでは、歳三が深刻な顔で思案している。
 「このままでは薩長の賊どもに皆殺しにされちまう、そんなことにはさせねえ。」
 この男が深刻な思案をすると、恐ろしい顔になる。
 周りの空気までもが硬直しそうなほどだ。
 「ですが、一体どこから兵を集めれば…」
 「浅草弾左衛門を誘ってみてはいかがでしょう?」
 「え…?」
 一同、声の方を振り返った。
 その視線の先には、沖田を診ていた医師の松本良順がいた。
 松本良順、実は密かに既出。
 大坂で近藤と沖田を診断していたときからずっと付き合いがある人物である。
 維新後、新選組の最大の理解者として、その名誉回復に務めた人物であり、
 また、西南戦争での敵味方問わずの医療活動を行った日本赤十字の父であり、
 また、日本に海水浴をもたらした人物でもある。
 「浅草弾左衛門…そうか、なるほど。」
 「それはなかなか妙案ですな。」
 歳三と斉藤が頷きあう。
 「ふぇ…? 誰なんですか、その浅草弾左衛門さんというのは。」
 佐祐理さんや舞は何のことか分からずに首を傾げる。
 この他国人たちに、歳三は丁寧に解説をした。
 浅草弾左衛門は、いわゆる被差別部落を束ねる男である。
 良順の提案では、この浅草弾左衛門に待遇向上を条件に協力を求めるというものだった。
 弾左衛門の配下だけでも、彼らの数を合わせれば結構な数になる。
 幸い、装備は豊富にあるため、人数はいくらいても良いのである。
 「彼らが求めるのは金ではありません、待遇の向上なのです。」
 良順は強めの語調でそう言って、歳三たちに忠告した。
 「土方さん、お願いしますよ。私の三万石がかかっているんですから。」
 沖田がクスクス笑いながら、布団から歳三に激励を兼ねて呼びかけた。
 どうやら近藤から早くも知行の割り振りを聞かされているらしい。
 「ほう、総司は三万石か。」
 「あ、私と同じですね。」
 佐祐理さんが楽しげに言う。
 それを見ていると、本当に五十万石が手にはいるような気がしてくるから不思議である。
 「参ったな…病人の私と倉田さんとが同じ知行をもらったら、罰が当たりますよ。」
 「罰が当たるなら、とっくに俺に当たってらあ。辛気くさいこと言うもんじゃねえぜ。」
 「土方さんにはとっくに当たってますよ。」
 「んん? なんでえ、そりゃあ。」
 「新選組副長なんて貧乏くじみたいな仕事しているじゃないですか。土方さんが武州でさんざん悪事をやっていたからこうなるんですよ。」
 「余計なお世話だ、これは俺にしか出来ねえ仕事さ。」
 歳三は誇らしげにいう。
 「やっぱり罰当たりだ。」
 沖田がまたもクスリと笑った。
 「何? 今度はどういう意味だ?」
 「いえ、たまにはご自分で考えた方がいいですよ。何でもかんでも口にするのは蟷螂くらいなものですから。」
 「んなこたあどうでもいい。ずべこべ言わずに…」
 「せっかちだなあ、土方さんは。私だっ…!」
 と、言いかけたところで激しく咳込む。
 慌てて良順先生が横になるように促すが、沖田は無理に笑って首を振った。
 「大丈夫か?」
 「……いえ、いつもの事ですよ。もう慣れました。」
 「おいおい、いつもの事になっちゃ困るぜ。早く治してもらわねえとな。」
 「そうでしたね。」
 「………」
 舞はぼうっとそれを眺めていたが、不意に口を開いた。
 「雪うさぎが足りない…」
 「え?」
 「ははは、もうさすがに雪が足りねえな。川澄君、何か別の手にしたまえ。」
 「………別の手」
 舞は再び黙って思案する。
 佐祐理さんは再び開くであろう舞の口に注視している。
 「………」
 いつの間にか、沖田もそっちに目がいっている。
 そして、舞の口が開いた。
 「獣肉…」
 「いりません」
 沖田、即答。
 「………そう」
 「駄目ですよ、沖田様。精をつけなくちゃ、この病は治りませんよ。」
 良順がたしなめる。
 「これだけしょっちゅう喰わされちゃあ、こっちの気が滅入ってしまいますよ。」
 「しょっちゅう喰わなきゃ意味がないだろ。」
 「いいですよ、姉さんたちに色々としてもらっていますから。」
 あまり理由にはなっていなかったが、歳三だって喰いたくはない。
 すぐに黙った。
 そして、改めてこの儚げな青年を見た。
 (大分、肺に来ている)
 良順先生は以前、歳三にこういった。
 それは同時に、沖田の先が短いということをも意味していた。
 (世の中ってのは、随分と都合悪くできていやがる)
 どうしてこんな人の好い青年が結核ごときで死に追いやられ、
 自分のような悪党がこうもピンピンとしているのだろう。
 近藤は、
 「あれだけ死を悟りきっているのも珍しい」
 と、歳三に語ったが、
 沖田からすれば、いつも通りに振る舞っているだけなのだろう。
 ひょっとしたら、沖田は無意識のうちに自分の命というものを知っていたのかもしれない。
 …だが、そんな言葉を言った近藤自身にだって、目前に死が迫っているのである。
 新選組隊士に、命の保証も安らかな死に場所の保証もされてはいない。
 それは歳三も斉藤も同じ、舞や佐祐理さんだってそうだ。
 ひょっとしたら、沖田よりも早い死が待っているのかもしれない。
 (俺も随分死を悟っているようなフリをしやがる)
 歳三はそう思って、自嘲的な笑いを浮かべた。
 だが、彼には喧嘩師の意地しかない。
 薩長が滅びない限り、彼に安息の地が訪れることはないのだ………
 「川澄君」
 「……?」
 沖田だった。
 「川澄君は………」
 「………?」
 「どうかしたんですか?」
 突然の沖田に、佐祐理さんが疑問に思った。
 「…いえ、梅が綺麗ですね。」
 そう言って、庭を見た。
 そこでは春になって活動を再開した鳥たちが、梢に止まって見下ろしていた。
 「………鳥さん。」
 正式名称不明の鳥を見て、舞が当たっているようなハズしているような返事を返す。
 江戸市中は騒がしかったが、この医学所は、人数が少ないこともあり、閑静だった。
 しばらく、新選組の、剣の手練れたちはそれを眺めていた。
 ………
 この月の十一日、
 一橋家の家臣の一部を中心に会合があった。
 目的は「慶喜公をお助けする」というものである。
 そして、十二日、十七日と会合を繰り返したが、人物が揃わない。
 だが、二十一日、強烈な求心力を持った男が現れた。
 武士ではない。公事宿の次男坊である。
 だが、自信たっぷりに旗本の家の名字を言った。
 「天野八郎と申す」と。
 また、同時に一橋家臣にも求心力のある大物が現れた。
 同じく百姓出だが、慶喜に取り立てられた才人である。
 「渋沢成一郎と申します。」と、彼は言った。
 あの日本の産業発展に大きく貢献した日銀総裁渋沢栄一の従兄弟である。
 ここに、後に「彰義隊」と呼ばれる組織が誕生した。
 いよいよ、江戸に火の粉が降りかかろうとしていた…

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