第十七話「招かれざる客」

 3月15日、越後高田城下に豪奢な一行が到着した。
 北陸道鎮撫総督の高倉永祐らである。
 だが、曲がりなりにも朝廷から命を受けた鎮撫総督の公卿を守る兵士の数は、たったの250人。それも、戦意薄い芸州広島藩兵である。
 参謀であるはずの黒田や山県は、ここにはいない。後続部隊を構成してから率いてくることになっているからだ。
 それだけ官軍の兵力不足は深刻であった。
 さて、高倉の一行は榊原家、高田藩十五万石の城下に居座り、越後方面の諸藩に命令を下した。
 ちなみにこの高田藩、戦国時代には徳川四天王と呼ばれた譜代榊原家でありながら、既に官軍に恭順している。
 これに習い、命令を送られた越後の11藩は、早速恭順の意志を示す重役たちを送ってきた。
 だが、その中でただ1藩の使者だけが、返答を異にしたのである。
 ………
 「そなた、植田はんとか申されはったな? そいでそちらさんが里村はんやったな?」
 上座に座った高倉に問われ、二人の使者が頭を下げる。
 「そちらの長岡藩以外からは、もう恭順の姿勢を示すと言うて来てはりますで?」
 「ですから、当家のことは全て河井と申す者が取り仕切っておりまして、まだ長岡に帰らぬ以上、はっきりとした返答はいたしかねますので…」
 「あんたのとこのお殿様は牧野はんやないか。河井はんやあらしゃいませんで」
 「はっ…されど…」
 長岡藩公用方の植田十兵衛は、言葉尻を濁して、何とか質問から逃れようとしているのだが、高倉は案外しつこかった。
 だが、返答するわけにはいかない。
 それが、河井継之助から送られた書状に書かれた外交方針であるからだ。
 「もう一度聞きますで。いますぐ恭順されるんか、されんのか?」
 恭順だけなら、河井だって受けるつもりである。
 だがそれだけではない。何しろ官軍は兵力不足なのだ。恭順の条件には軍勢の提供というものが付いている。
 (そんなものを呑めるか!)
 植田は長岡藩を戦火から守ろうと必死だった。
 河井の書状によれば、強力な武装で藩の武装を固めて中立の立場をとり続けることが長岡を守る道だという。
 確かに、今の官軍ならば強力な武装をした中立の藩を攻めることなど出来はしない。
 それは幕府方とて同じ。
 当然、自動的に中立の立場を守ることができるというわけだ。………と、主張しているのだが。
 「するんかいな、しないんかいな。どっちや!?」
 高倉がさらに詰め寄る。
 「嫌です」
 里村が毅然として返答した。
 「なんやて? ほな、幕府方に味方するつもりなんかいな?」
 「それもやりません」
 「里村はん、そないな言い分、今の世で通ると思われてますのか?」
 「………はい」
 里村は目を閉じ、起伏のない声で答えた。
 「戦をする気はないです」
 「なんやて!? この期に及んでまだそないなことを言いなはるんかいな! ほな、軍資金として三万両出しや! そないやったら見逃してやりますわ」
 「嫌です」
 「………」
 高倉は呆れたような顔をしたが、側近の目配せに気を取り直した。
 「言うときますけど、官軍は手加減するつもりはありませんで。恭順なさらん限り、戦になれば官軍は攻めると思うとってくださいや」
 「………それでは、小銃と大砲をたくさん抱えてお迎えいたします」
 「………」
 里村の平然とした答えに、居並ぶ側近にも冷や汗が流れた。
 なにしろ今いる兵はたったの250人、万が一ここで攻められれば命を落としかねないのだ。
 内裏の、貧乏ながらものほほんとした生活に慣れた公卿たちには、この上ない恐怖であろう。
 「と、とにかく、早いとこ河井とかいうもんに恭順するように言うときなはれ。誰か、二人を外まで送りや!」
 「いりません」
 里村は、立ち上がりながら、そう言い放った。
 「河井が戻りましたら、すぐに報告させていただきます」
 植田が丁寧な口調で喋りつつ、腰を上げた。
 「吉報をお待ちください」
 そうして、長岡藩の使者は去った。
 だが、高倉たちの一行は、吉報を待つことなく、逃げるように高田城下を去っていった。
 よほど心細かったのだろう。
 ともあれ、この段階では河井継之助が目論む策は成功していることになる。だが………

 「…で、そのまま北陸道鎮撫総督殿はお帰りになられたのか?」
 「はい」
 使者が帰り着いた長岡城内、藩の重役たちが集まって評定を開いている。
 重役一同、複雑な面もちで互いに顔を見合わせあったり、瞑目して考え事をしている。
 だが、この中には河井はいない。
 まだ、貨物船の船上にいるはずだ。
 その中、若い藩士が深刻そうな顔で呟く。
 「何だか…心証を害したような気がするぞ」
 「だが、恭順なんて言い出したら、それこそややこしいことになって、したくもない戦をやる羽目になるぞ」
 「そりゃ、そうだがな…」
 「河井様のおっしゃるとおりにやれば、何ら心配する必要はござりませぬよ」
 「……」
 一同、沈黙する。
 河井のことは確かに信頼してはいるが、周囲の藩は一斉に恭順している以上、不安にならないわけがない。
 そこへ、使者の一人、植田十兵衛が口を開いた。
 「河井様の書状によれば、幕府方は既に降伏の決意を固めたようでございますが…」
 「それはまことなのか?」
 「河井様のおっしゃられることなれば、おそらく間違いはないかと」
 「ふむ…」
 「幕府が官軍に降伏すれば、官軍が戦をする意味はなくなるでしょう。さすれば、わざわざこの長岡を攻めようなどとは思いますまい」
 「そもそも官軍自体、幼い帝をたぶらかして戦をしているようなものだ。どうせすぐに音を立てて崩れるさ」
 だいぶ前の話で書いたように、世間一般では、薩長の新政府は期せずして崩れると見ているのだ。
 時の天皇、明治天皇はまだ少年、後の日清戦争、日露戦争の時のような慈悲深さで戦争を抑止するような力はない。薩長、いや薩摩の操り人形も同然である。
 そんな状況を利用しているのが薩長であるだけだと、幕府や東国諸藩は思っているはずなのだ。
 「そうだといいのだが…」
 不安は隠せないながらも、何とか自分を安心させようと、植田の発言に大多数が納得する動きを見せる。
 「しかし、帝が幼いことをいいことに好き放題やるとは薩長め、何が尊皇攘夷だ!」
 「連中こそ朝敵よ。連中がやる気なら、こちらも正義を掲げてうち払ってくれる!」
 と、この手の議論ではよくあるように、意気が揚がり始めたその時、
 「会津はどうなのだ?」
 という一人の藩士の発言に、全員の視線が集まった。
 「会津…ですか」
 藩士の発言に、里村が、起伏は無いながらも、不安を声ににじませて呟いた。
 「そうじゃ、会津は既に軍備を固めているというではないか。本当に戦をする気やもしれんぞ」
 「ですが…それは我が藩とて同じ。官軍が攻めなければ、戦にはならないでしょう」
 「折島殿、そなたの伯父殿が会津松平家家中にいらっしゃったろう。その辺りのこと、何かご存じ無いか?」
 折島と呼ばれた若い侍に、やはり全員の視線が集まった。
 「いや…俺は伯父上とは最近交流がないからな。よく知らない」
 若い侍が首をひねった。
 「念のため、伯父殿に伺いをたててみてはくれぬか? 少しでも状況が分かるとありがたいのだ」
 「役に立つとあらば…」
 若い折島が、頷いた。


 一方、こちらは政治の表舞台。
 いわば、歴史の教科書に載る場面である。
 3月14日、歴史通ならずとも知っている事件、西郷吉之助と勝海舟の会談が行われている。
 場所は江戸の薩摩藩邸である。もっとも、江戸とは言っても郊外だから、城からはだいぶ離れている。
 東海道鎮撫軍の本部とも言うべきこの場所に、幕臣勝海舟はやって来た。
 会談内容はあまりに有名なので、詳しくは書かないでおこう。
 とにかく、江戸城総攻撃は無期限延期、徳川慶喜の助命、江戸城の武器を全て官軍に明け渡すことが決定された。
 だが、もちろん幕閣、ましてや陸海軍の者達の同意など得てはいない。
 そして、奇怪なことに京都の新政府に対してですらそうであった。

 その京都、ここはとある料理屋である。
 中にいるのは長州藩士、木戸準一郎と大村益次郎。
 大村はいつもの無表情、だが、木戸は明らかに疲れきった表情をしている。
 だが、そのことについて大村はすすんで尋ねようとはしない。
 元来そういう男であり、木戸もそれは熟知している。
 だから、木戸は自ら重い口を開いた。
 「私は……京を去ることにしたよ」
 木戸の言葉に、さすがの大村も驚いた。
 新政府は樹立したばかり(というより、何もできていない)であり、木戸はその大幹部ではないか。
 本来なら、去ってはならない人物である。
 だが、木戸が去りたい気分になるのも頷ける条件も、実は揃っていた。
 つまり、例のノイローゼがこの二ヶ月でどんどん重くのしかかってきたのである。
 大村にも、それは分かるのである。分かるのだが…
 「大村先生、後のことはよろしく頼みます」
 「………」
 木戸の言葉に返答することなく、大村はしばらく押し黙っていたが、ふと首を捻った。
 「私には、あなたの考えがよく分からない」
 大村が首を捻るのも頷ける条件も、実は揃っていた。
 (どうやら木戸が鬱屈している原因は薩摩の専横にあるらしい)
 それは分かる。
 分かるどころか、新政府内は薩摩の専横に対する不満で溢れ返っている。
 岩倉具視ですらその様子が垣間見られ、薩摩に対抗する勢力として、公卿から人物を捜して教育を施していたのである。
 ちなみに、その代表格として、後の首相である西園寺公望がいたのを考えると、この計画はある程度成功したのだろう。
 だが、体内を不満で溢れ返らせているはずの木戸は、一言も不満を口にしないのである。
 ここが、大村がよく分からない点である。
 そもそも、薩摩の専横が木戸にとって最も腹立たしかったのが、「徳川慶喜助命問題」である。
 先ほどの西郷・勝の会談では徳川慶喜の助命が決定されているが、実は京都では全くの逆の展開が起こっていた。
 つまり、薩摩が徳川慶喜の誅殺を唱え、長州が助命を唱えていたのである。
 いや、正確には長州の幹部クラスの者達が、である。
 いわゆる下級の志士たちには同志を大勢殺された恨みがあるから、慶喜の誅殺を支持する様子がうかがえる。
 薩摩も、この様子から、長州人は慶喜を殺したがっていると信じ込んでいた節があり、非常に実状はわかりづらい。
 とにかくである。
 木戸は徳川慶喜助命を画策し、大名諸侯を宴席に招いて助命を遠回しに頼んだ。
 大名というのは窮屈なものであり、宴会などというものを体験したことがなかったものだから、これには大いに喜んだという。
 だが、この計画は逆に木戸の苦労が目立たないという側面も持っていた。
 そこに西郷の鮮やかな外交というわけだ。
 勝との会談を済ませた西郷は素早く京に戻り、参与たちにその旨を伝えている。
 薩摩でも大久保一蔵は助命側に傾いており、長州の木戸と広沢は元から助命側である。反対などあるはずもなかった。
 かくして、徳川慶喜助命、江戸市民の命を救った、などという功績は全て(西郷本人にその意志があったかはともかく)西郷個人のものになってしまった。
 現在の歴史における扱い方から見れば、それが一目瞭然であろう。
 しかし、見ての通り、これは西郷個人の政治力が為した芸当である。
 当然、薩摩の専横に対する不満も増長することとなったのである。
 佐幕主義者で薩長の急進的な動きに反感を抱いていた、土佐の山内容堂は「薩長ともに倒れればよい」と口にし、本来薩摩の親玉であるはずの島津久光は、「西郷・大久保にしてやられた」と嘆いた。
 そもそも島津家は全国で最も古い武家の一つであり、鎌倉時代から薩摩を守護している家である。
 それがいつの間にやら薩摩人の信望は西郷一人に集まってしまい、島津久光はここしばらく蚊帳の外である。
 もともと彼は強烈な攘夷主義者であり野心家である。一説には将軍になろうとしていたとも言われる。
 結局、島津久光は終生武家の暮らしを捨てず、明治という世を呪いながら死んでいったのである。
 そして木戸もまた不満の点では同じ。
 この会議を境目に、木戸のノイローゼは一層強くなり、ついにここで京を去ることとなったのである。
 大村もまた、西郷に対する認識は木戸を通してしか得ていない。
 だから大村にとって西郷は「大悪人」なのである。
 そもそも、彼には西郷のような人望を集める人物というものの存在がわからない。
 彼には西郷の周りに集まる人物が分からない。
 彼には西郷の能力というものが分からない。
 つまり、彼にとって西郷は「無能漢」以外の何者でもなかった。
 彼、大村益次郎の不幸は、西郷をこのような見方で見ていたこと、西郷の周囲に暗愚な者達が多かったこと、彼が人に恨まれやすい男であったこと、彼が無名の男から大出世したこと、そして東海道鎮撫総督軍に薩摩人が大きな勢力を占めていたことである。

 この時、関東一円では旧幕軍の一部が官軍に抵抗を示していた。(甲陽鎮撫隊もその一つだ)
 官軍はこれに対して軍勢を送ろうとするも兵力不足。
 だが、そんな中、一隻の船が兵を載せて港を出ている。
 奥羽鎮撫総督九条道孝の軍勢である。…もっとも、こちらもその兵力はたったの200人だったが。
 このように、官軍の兵力事情の苦しさは目を覆うものがある。
 だがしかし、ここでも一種の不幸が起こる。
 北陸道鎮撫総督からの報告を見て、新政府は長岡藩の態度を怪しんだ。
 ここで新政府のとった対応は、北陸方面に尾張藩兵500人を派遣するということだった。
 そしてその指揮官は、土佐の岩村精一郎。


 …そういうわけで、仙台にも招かれざる客がやってきた。
 奥羽鎮撫総督と200人の兵を連れた一行が仙台に到着したのは、3月23日のことである。
 その先日、錦旗を掲げながら陣屋に宿営している一行を、陣笠の男が侍を従わせて眺めていた。
 彼らは冷静な表情で、錦旗を掲げる宿場を見ている。その心中は分からない。
 「お奉行、参謀の方が会うそうでございます」
 「そうか」
 報告を聞いた男が顔を上げる。陣笠の下、その顔は紛れもなく仙台町奉行の久瀬主水である。
 となると、傍らの侍たちは町方の与力、同心であろう。
 「津田、政吉から何か言ってきたか」
 「いえ、今のところ動きはありませぬ」
 「そうか、必要ならば組下の者を動かしてもかまわん。お前の独断に任せよう」
 「承知いたしました」
 屈強な与力津田が頭を下げる。
 それを確認すると、久瀬は宿場の方へと歩き出した。付き従うのは久瀬家の用人三名のみ。
 町方は全てここに残留している。
 「父上はまだ来られぬのか?」
 久瀬が、歩きながら、護衛する用人に尋ねた。
 「はっ、どうやら城中で手間取っていらっしゃるようで…」
 「仕方がない…吉崎どもが妙なことをしでかす前に、私が城まで送るとするか」
 「奉行所の方々で足りるでしょうか?」
 「安心しろ。城下をうろつく勤王浪士もいる」
 「はて? 姿が見えませぬが…」
 「姿が見えては、まずいのだよ」
 久瀬が凄みのある顔でニヤリと笑う。陣笠の下だったため、用人は気づいていなかった。
 やがて久瀬たちは陣屋へと入った。
 辺り一帯、官軍の兵士が銃をもってパラパラと配置されている。
 「仙台町奉行久瀬主水、出迎えに参上いたしましてございまする」
 「おお、来おったか」
 その中央、二人の男が立ち上がった。
 そこらの官軍兵士とは明らかに身分の違う男である。
 「拙者、薩摩の大山格之助と申す。九条様に従い、参謀として参った」
 「久瀬にございます」
 久瀬に従い、用人たちも頭を下げる。
 大山は愛想良く笑いながらも、 四囲への警戒を怠っていない。
 実は上陸時から、町の雰囲気が好意的でなかった。そして、出迎えは町奉行。
 藩から護衛の部隊が出ているわけでもなく、奥羽鎮撫総督を迎えるには、あまりにも待遇が悪い。
 「おお、それからこちらがもう一人の参謀である世良殿だ」
 だが大山は笑みを浮かべたまま、後ろの男を紹介する。
 その男は無愛想な表情でこちらを見ていた。
 「世羅修蔵、長州の者だ」
 「仙台町奉行の久瀬でござりまする」
 「さっき聞こえた」
 世良は頭を下げた久瀬を見下すような形で言葉を吐いた。
 久瀬は一瞬不快な気分になったが、相手を見ると再び気を取り直した。
 「九条様とお二方は、拙者が城までお連れ申し上げますのでご安心を」
 「そうか、それはありがたい」
 大山が頷き、側にいた兵士に何か告げたとき。
 「久瀬殿とか申したな」
 その時、世良が口を開いた。
 「大層な出迎えのようだが…伊達殿は奥羽鎮撫総督様をどのように考えていらっしゃるのかのう?」
 「どのようになどと…帝の使者でいらっしゃいます方々を疎略に扱うわけござりません」
 「どうだかな。既にこの国は我ら新政府のものであることを、ゆめゆめ忘れぬようにな」
 世良の皮肉と傲慢な態度に、久瀬は内心はらわたが煮えくり返る思いがしたが、大義を思うと、ぐっと堪えた。
 世良の態度を横目に、大山はわざと素知らぬふりをしている(ように思える)。
 (これは問題を起こさねば良いが…)
 久瀬は不安に駆られたが、最早自分の権力でどうにかなるようなレベルの問題ではない。
 彼は奥からこちらへとやってくる総督九条道孝の姿を確認しながら、隣の用人に何かの合図を促していた。

 さて、所変わって青葉城(仙台城)である。
 突然現れる形となった奥羽鎮撫総督の来訪に、城内は大騒ぎである。
 いや…単に突然現れたからだけではない。
 「総督様はいずこに参られた?」
 「殿と直々に会談中でござります」
 「そうか、では参謀たちから話を聞くとしよう」
 城内の廊下を、慌ただしく男たちが動いている。
 この男も例外ではない。
 「御家老、主水様が早く竹の間にいらっしゃるようにと…」
 「そうか、主水もおるのか。他には?」
 男は忙しそうに周囲の者に尋ねる。
 「星恂太郎殿や吉崎伝蔵殿もおられるようです」
 途端、男の顔が渋くなる。
 「あやつら、身の程もわきまえず………まあよい、あの筆頭家老は居ないのだな?」
 「今のところはまだ奥にいらっしゃるようで。ですが、そのうちにいらっしゃらないとも限りませぬ」
 「うむ、ではあやつが来る前に私が参ろう」
 そう言うと、男は数名の用人と共に竹の間へと向かった。
 ………
 「家老の久瀬半左衛門、ただいま参上仕った」
 そう言いながら、ぐるりと辺りを見回す。
 部屋の中には、実子の久瀬主水、そして星と吉崎ら小うるさい佐幕派の面々、後は雑用係が数名居るだけだ。
 久瀬半左衛門は佐幕派の数が多いことに不快だったが、とりあえず自分が一番この中では上席であることには安堵した。
 その時、部屋の正面に座る男が声をあげた。
 「おお、伊達家の家老殿がそなたか。拙者、参謀の大山格之助である」
 「お初にお目にかかる」
 参謀とはいえ、元は一藩士に過ぎない。半左衛門は立ったまま頭を下げた。だが…
 「家老殿、我々は新政府の名代である奥羽鎮撫総督様に付けられている参謀である。我らに対する無礼は帝への無礼に当たること、よもや知らぬわけではあるまい」
 「無礼…でござるか?」
 半左衛門が思わず問い返す。無理もない。自分には無礼な振る舞いをした自覚など微塵もなかった。
 「貴殿は無礼と申されるが…」
 「父上」
 反論しかけた半左衛門だったが、右手に座った息子の声に何かを察し、ひとまず呑み込んだ。
 半左衛門は憎々しげに膝を打ちながら、息子主水の隣に座る。
 一応、最上席として先頭である。
 「…そなたが伊達家の筆頭家老か?」
 半左衛門が先頭に座るのを見て、世良が尋ねた。
 「いや、拙者は次席家老の久瀬半左衛門にござる」
 「なんじゃ、筆頭家老は来ぬつもりか」
 「いえ、我が殿に従って奥におりまするゆえ、こちらには参れませぬ」
 そう答えたのは久瀬親子ではない。反対側に座る星である。
 「拙者が代表を務める所存にて、ご安心を」
 星の台詞を継いで、久瀬半左衛門がここぞとばかりに言い切った。
 吉崎はどことなく不満そうだったが、かといって何かできるわけでもなかった。
 「そうか、まあいいだろう」
 世良は軽くそう言うと、新政府からの書状を読み上げ始めた。
 その態度は尊大で、佐幕派の星や吉崎はもとより、勤王派の久瀬親子にとっても主家を愚弄しているとしか思えなかった。
 しかもその内容が良くなかった。
 「帝より討伐令が下ることがあれば、速やかに軍勢を整え、鎮撫総督に従って朝敵を討てとのことだ」
 「『軍勢を整え』と言うが、そなたらが率いる兵ではとても戦はできぬぞ」
 「何を言っている? 東北諸藩の兵で戦をするのだ」
 と、世良は事も無げに言う。
 久瀬は内心、「この男はひょっとして阿呆なのではないか」と思ったが、もちろん口になどしない。
 東北諸藩が薩長のやり方に賛同などしていないのは誰もが知っていることだ。
 それなのに、たかが200ばかりの兵を率いた薩長の一藩士ふぜいがその軍勢を束ねるという。
 よほど事情を知らないのか、よほどその課題を克服することに自信があるのか…
 とりあえず、この日は新政府の方針を仙台藩に伝えることで終わった。
 仙台藩士たちにはどれもこれも不愉快になるような話ばかりであったが、率いる兵が200の連中に何ができるか、とそれほど深刻な顔をしている者はいなかった。
 だが、最後に残された世良の言葉、
 「今後は一切、奥羽鎮撫総督九条道孝様の意向が全てである。藩政のことも全て我らが取り仕切るゆえ、勝手な行動は慎んでいただく」
 これには藩士、とりわけ佐幕色の強い仙台藩であり、一同激怒したのである。
 ………
 「久瀬様! 一体どういうつもりなのでござるか、あの連中は!」
 参謀が退出すると、たちまち佐幕派の藩士たちは次席家老久瀬半左衛門に詰め寄った。
 「どうもこうも…新政府の威光で権力を得ているのだ。新政府というものがそれだけ力があるということなのじゃろう」
 勤皇派の久瀬半左衛門は、内心の不快感を隠し、言葉を選んだ。
 「たとえ京の都を支配していようと、ここは仙台、伊達家の領地にござる! あのような振る舞い、我らを侮辱しているものとしか思えませぬ!」
 「久瀬殿はあの連中を放置しておくおつもりか!」
 「放置じゃと? 帝の命で来られた方々を我らの一存でどうしろというのだ」
 「御家老…! あの連中を見てもまだ、そのような論を!?」
 「あのような連中、帝の名を借りて領内で暴虐の限りを尽くさんとしているに相違ござりませぬ!}
 「あれこそまさに賊そのもの、勤皇派など本来は賊だということがこれで明白になったではござらぬか!」
 佐幕派の藩士たちが次々と語気を荒げて、怒濤の如く詰め寄ってくる。
 対応に苦しむ久瀬半左衛門の隣で、その息子の主水は困惑していた。
 (まさか、よりによってあのような男を送り込んでくるとは…)
 本来佐幕派の巣窟である東北地方に、あのように傲慢な男を送り込んでくるとは、主水としては新政府を支配するという薩摩人の能力を疑わずにはいられなかった。
 久瀬親子としては、奥羽鎮撫総督の力を借りて藩内の権力を勤皇派に取り戻そうとしていたのだが、それもこの様子では不可能に近い。
 第一目標の遠藤文七郎(京都における仙台藩勤皇派の首魁だった男)を閉門蟄居から解放することすら叶いそうもなかった。
 結局、単に佐幕派の反感を強めただけに終わったのである。
 「とにかく! 経緯はどうあれ、帝の命で来ている以上、従わねば朝敵となるのだ。藩を守るため、大事の前の小事、わずかばかりの屈辱に耐えるのじゃ!」
 久瀬が一声吠えた。
 一瞬、一同シンとなる。
 「朝敵」という言葉に、佐幕派の面々もさすがに怯んだのだろう。黙ってお互いの顔を見合う。
 「……久瀬殿」
 その沈黙を破り、一人の藩士が声をあげた。
 星恂太郎だった。
 「久瀬殿、藩を守るとおっしゃったが、よもやあの時のことを忘れているわけではござりませぬな?」
 「………」
 途端、佐幕派の藩士の中から「あの時のこととはなんだ?」と、互いに問い始めた。
 奇妙なことに、それに正確な答えを出せるものは一人もいなかった。
 そんな周りの様子など気にもせず、星は久瀬と見合っている。
 「あの者も、藩を守るために自ら名までも捨てて自刃したのですぞ!」
 「星殿、それとこれとは話が別であるぞ」
 主水が口をはさむが、星は受け付けない。
 「何が別なものか! あの時の屈辱と無念を、御貴殿は無駄にしようとしているのですぞ!」
 「か…いや、あの者がいかに無念であったかくらい、拙者とて承知しておる。だが、今回の相手は外様大名家ではない。朝廷なのだ。」
 「それは…それはわかっておるが…わかってはおるが、一番無念なのは…」
 「待て、それは言ってはならぬ、ならぬぞ」
 「……」
 突然意気消沈した星恂太郎の姿に、事情が分からず混乱する佐幕派藩士たち。
 ひとまず久瀬は安堵の溜息を吐いた。
 だがその中に、目を爛々と燃やす男もいたことに、久瀬は不覚にも気づいていなかったのである。
 ………
 この日、仙台には奥羽鎮撫総督府が置かれた。
 仙台は奥羽地方の支配の中核、そして討伐令が出たときには軍事の中枢となる場所となることが決定したのである。


 ………江戸
 甲州戦争で散々に敗れた新選組は、散り散りになって江戸に逃げ帰った。
 局長の近藤は、肩の怪我が戦闘で悪化し、再び神田和泉橋の医学所にいた。
 「いやあ、負けた負けた。見事な負け戦だったな」
 近藤は寝台の上に横になりながら、傍らに立つ歳三に笑いかけた。
 だが、その声にも消沈したところがある。
 (無理もねえな…)
 歳三はその顔を見て思った。
 近藤にとって負け戦は初体験、そして新型装備による激烈な銃撃戦というのも初めてであった。
 かなりのショックを受けているはずである。
 この日は3月7日。
 甲陽鎮撫隊を赤子の手を捻るようにうち破った官軍は甲州から武州に入り、もはや目の前に迫っている。
 江戸城は風前の灯火と言って良い。
 「済まなかった」
 歳三が突然頭を下げた。
 「援軍を求めに行ったってのに、結局間に合わなかった」
 「なに、あれは官軍の連中が早すぎたのよ。歳のせいじゃねえ」
 近藤はどこか投げ出すように言った。やはり相当ダメージが大きかったらしい。
 だが、歳三にも別に衝撃的な事実を感じることがあったのである。
 この時はそれを口にはしていなかったが…
 それからしばらくして、新選組の同志たちが近藤の所在を聞きつけてやって来た。
 舞と佐祐理さんも、歳三が医学所に現れた次の日にやって来た。
 「局長、思ったよりもお元気そうで何よりです」
 「はは、このざまで元気そうとは、よほど線香臭いところへ行っていたようだな」
 そう言って、近藤は包帯に包まれた腕を見せた。
 「………」
 「どうした、川澄君」
 「………再起はするの?」
 舞の問いかけに、一瞬近藤は沈黙した。
 「再起か…」
 近藤は物憂げに呟いた。
 もはや自分の唯一の取り柄のようだった剣が、戦場でも役に立たない代物になってしまったことを思うと、近藤には再起をしようと言う気も起きなかった。
 そんな近藤の様子にも、側にいる歳三は何も言わずに見つめている。再起を促す言葉も、励ます言葉も口にしない。
 「ふぇ? お二人とも、どうなさったんですか?」
 「………」
 それから、再起の話題はしばらく出なかった。
 だが、さらに数日後、複数の同志がやって来たときに再びその単語が登場した。
 「局長、永倉さんたちがお見えになりましたーっ」
 佐祐理さんが嬉しそうに駆け込んでくる。
 佐祐理さんにやや遅れ、江戸以来の同志二人を含む何人かが入ってきた。
 「ずいぶん探したぞ。再起の相談をしたいのだが、今宵、大久保主膳様の屋敷に集まっていただけないか? 場所は深川森下」
 入ってくるや否や、先頭にいる永倉新八が言った。
 その後ろには、原田左之助や中条常八郎など数名の顔がある。
 (おや?)
 振り返ってその姿を見た歳三は、妙な気がした。
 永倉たちの態度がどこか以前と違う。他人行儀…いや、それとも違う。
 「分かった、行こう」
 近藤は気にする風もなく承諾した。
 (ああ…)
 歳三は、それを見て気づいた。
 いつの間にか、主導権が永倉や原田の手に移っている。歳三が感じたのは、そこから来る永倉の優越感に似たものだったのだろう。
 「川澄さんたちも来ていただけるな?」
 「はい、もちろん行きますよ」
 「………(コクリ)」
 舞と佐祐理さんも承諾した。
 さらに歳三、思う。
 なんのことはない。既に新選組という組織はなくなっているのである。永倉や原田が歳三や近藤を上座に据える必要などどこにもなかった。今では同じ剣客仲間、同志なのだから。
 (だが、果たしてそれだけか?)
 歳三の頭にはそれでもまだ疑問が残る。
 再起を期すならば新選組の組織を使うのが有効であり、その為にはやはり近藤が首領となるのが筋である。
 だが、永倉の態度にはそんな様子は見られなかった。
 「………」
 ふと気が付くと、舞が歳三の顔を見つめていた。
 「……どうかしたかね?」
 「…全て…副長の信念のままに」
 舞はそんなことを呟くように言い、再び顔を背けた。
 歳三も、それに対して何も言わなかった。何か予感めいたものがあったのかもしれない。
 ………
 その宵、大久保主膳の屋敷に近藤・土方、そして舞と佐祐理さんはやって来た。
 ここでの事については、「新選組顛末記」に記されているので、それを参考に書く。
 近藤は仲間との再開に上機嫌だったが、それは逆に永倉たちにとって尊大な態度にも思えた。
 近藤にとっては当然の振る舞いであったが、近藤は歳三のようには事態を理解していないようである。
 しばらくして、永倉が一つ話を持ち出した。
 「近藤さん、実は再起に当たって私に案があります。直参旗本の芳賀宜通(はがよしみち)という方をご存じですか」
 「芳賀? いや、知らぬ」
 「神道無念流の道場を持っている方なのですが、この方から、合流して一隊を組織しようという話があるのです」
 芳賀宜通、旧幕府の学問所取締であった男で、永倉の言うとおり深川に道場を持っている程の腕前である。
 旧幕府歩兵を傘下に持っており、確かに一隊を組織するには頼りになる男である。
 いきなり浮かび上がった男のようにも思えるが、実は永倉と芳賀は友人なのである。
 芳賀は永倉と同じ蝦夷松前出身の男で、養子として芳賀家へやって来た。
 おまけに神道無念流という同流の門弟でもある。
 「どうでしょう、近藤さん」
 永倉は近藤に詰め寄った。
 永倉からすれば、ここで芳賀を首領に担ぎ、近藤や土方を自分と同じ格にまで落とす必要がある。
 永倉だけではない。新選組同志の中には近藤の横柄な態度を非難する者が増えているのだ。
 特に、江戸に帰ってから隊士一同の前で「私の家臣同様」という失言をしたときには、同志が数名去るという事まで起こったらしい。
 だがしかし、本当にそんなことを言ったのだろうか?
 何しろ参考にしているのが「新選組顛末記」で、当事者の永倉新八の手によって書かれたものであり、頭から信用するわけにはいかないだろう。
 永倉にしたって、見方によっては新選組を乗っ取ろうとしたクーデターにも似た行動をしているのだ。
 まあ、それはいい。
 どっちにしろ、近藤・土方と永倉・原田らは分裂してしまった。
 それでも永倉は芳賀の人物をひたすら強調して説いた。
 だが、近藤からすれば物憂い気分になっている。今さら見ず知らずの男と再起をするという気分にはなれなかったようだ。
 それがたたり、近藤はここであたかも新政府に恭順するような台詞を吐いてしまった。
 それに激怒したのが原田左之助である。
 「近藤さん、まさかそのような意見をするとは、見損なった!」
 立ち上がる原田を近藤はなだめたが、弁明するわけでも、原田を説得するようなことを言うわけでもない。
 そこで、さっきから黙って酒を飲んでいる歳三に尋ねた。
 「歳よ、お前はどうだ」
 「俺かね」
 猪口を畳に置き、歳三はここで初めて口を開いた。
 「俺は、会津へ行くよ」
 「!」
 「な…!?」
 一同、驚いて歳三の顔を見た。
 誰の頭にも、ここで江戸を捨てて奥羽へと向かうことなど無かった。
 だが、歳三としては、奥羽諸藩こそ官軍に抵抗できる唯一の勢力に思える。
 「君らは江戸で戦をやるつもりだろう。だが、俺には分かる。これ以上江戸で戦をやっても無駄だよ」
 「なにをそんな! やってみなければ分からない!」
 原田が怒鳴る。
 だが、そんな原田にも歳三は静かに微笑を見せるだけだった。
 なにも、歳三までも近藤と同じショックを受けているわけではない。
 だが、歳三は近藤の代わりに江戸城に登っているのだ。
 そこで見た光景、それは歳三を失望、いや絶望させるものだったかもしれない。
 そこにあったのは戦から帰ってきた者を労る空気ではなかった。
 恭順派の旧幕臣から送られる露骨な不快感。
 その目は、一様に「厄介な奴が帰ってきやがった」と言っていた。
 そしてそれは同時に「甲州で死ねばよかったものを」と言っているのである。
 その時、歳三は気づいたのだ。
 (ああ、そうか。俺たちは幕閣にとっては「招かれざる客」であったというわけか…)
 勝海舟が新選組を甲州に送ったと証明する記録はない。
 だが、五千両という軍資金が窮乏する幕府から出たというのは、よくよく考えたらうますぎる話だった。
 それなりの地位にあるものが口添えをしたとしか思えない。
 長州・土佐の恨みが強い新選組を、江戸から体よく追い払い、戦死させるための口実だと思われても仕方がない。
 そしてもう一つは、徴募の時に感じた旗本たちの、予想以上のだらしなさ。
 いや、そもそも幕府に甲陽鎮撫隊を支援するような空気はなかった。援軍要請にかけずり回った歳三には分かる。
 いわば見殺しであった。
 このままでは、江戸で戦っても孤立無援となろう。
 「原田君、こう変転が激しくなり、幕府もなくなっちまった以上、新選組で行くわけにもいかねえよ。自分で自分の道を行こうじゃないか」
 「……」
 威勢のいい原田が、急に落ち込んだ。
 「歳よ」
 そこに、近藤が笑みを浮かべて歳三へと声を掛けた。
 「なんだい」
 「随分、思い切ったことを言いやがるなあ」
 「そうかね? 俺はもう、地獄の果てまでも薩長と喧嘩をするつもりさ。命のある限り、ただ戦う。これだけさ」
 歳三は、心底楽しげにそんなことを言った。
 居並ぶ同志たちは皆、困惑気味の顔をしてそんな副長を眺めていた。
 その中で、歳三は立ち上がる。
 「皆、去るもよし、新八たちといくもよし、俺と局長に付いて来るもよし、自由にしてくれて構わない」
 そう言い残し、歳三はさっさと屋敷を出た。
 意外に呆気ない、戦友との別れであった。
 「………」
 その歳三、屋敷の前の往来に立ち止まった。
 星のある夜空を見上げる。
 「歳、またお前と二人になったか」
 近藤がその背中に声を掛けた。
 「結局は、この組み合わせか」
 歳三が、声もなく笑った。
 「だが歳よ、会津へ行くというが、当てはあるのかね?」
 「ある」
 歳三は断言した。
 「流山というところが下総にある。ここは天領で、しかも比較的豊かな土地だ。ここで徴兵し、数百名の手勢ができれば奥州へ向かう。奥州は日本の半分だ。奥州諸藩が団結すれば、新政府といえども歯が立つまい」
 「ははあ、でけえ作戦だなあ」
 「そうでもないさ」
 歳三は腰の和泉守兼定を差し直した。
 「だが、兵が集まるかねえ?」
 やはり近藤は弱気だ。
 「そいつはやってみねえとわからねえけどな」
 なにも流山に拘ることはない。共に戦う兵士が居るところならいいのだ。その為なら北の果てまでも行こう。
 「大丈夫です、集まりますよ」
 「?」
 二人の背中に、突然声がかかった。振り返る。
 「新選組と言えば、江戸の英雄ですよ。集まらないわけがないじゃないですかーっ」
 「ふふ、そうだとありがたいがね」
 歳三は、いつもと変わらぬ明るさの佐祐理さんに笑いかけた。
 屋敷から漏れてくる光を背中に受け、佐祐理さんの姿は妙に頼もしげで美しく見えた。
 「………」
 その隣、もちろん舞も居た。
 だが、特に何か言うわけでもない。先ほど歳三にかけた言葉、それが意見であり、答えであった。
 それでも、歳三は尋ねる。
 「倉田君と川澄君は、どうするつもりだね?」
 「……私は、薩長を討つ者だから」
 正確には答えになっていなかったが、歳三には十分すぎるほど分かる。
 「そうかい。やっぱり川澄君も喧嘩師として戦うか」
 「………そうかもしれない」
 舞は、別に否定も肯定もしなかった。
 ただ、どういうわけか薩長への敵愾心だけが、歳三の身に感じられた。そしてそれは歳三にとって共鳴するものである。
 今から思うと、歳三の頭にはもう勝敗など無かったのかもしれない。舞も同じだったのだろうか。
 「もちろん私も行きますよ」
 その隣で、佐祐理さんは事の重大さなど意に介さぬように、同意を示した。
 「…佐祐理は行かない方がいい」
 「え? どうして、舞?」
 突然、舞が止めた。それは佐祐理さんのみならず、歳三や近藤にとっても意外な瞬間だった。
 舞が佐祐理さんの意見に反対することなど、ついぞ見たことない
 「これからの戦は、今までとは違うから…」
 「大丈夫、それくらいは分かってる」
 「それ以上に、佐祐理と私とでは立場が違うから」
 「立場が違う?」
 これに驚いたのは、むしろ歳三だった。
 「それは一体どういう…」
 「いえ、大したことじゃないんです。そんなこと、この際関係ありませんよ」
 佐祐理さんは、何一つ憂えることなど無いように、そう言いきった。
 「舞、舞と私は国を出るときから一緒に来たんだから、これからだって一緒に戦う。そうでなくちゃ、今までの事、全部無駄になってしまうかもしれない…」
 「……」
 舞は黙ったが、やはり歳三と近藤は理解しかねて首を傾げる。
 もっとも、歳三に詮索する気などなかったが。
 しばらくして、舞が頷いた。
 「どうやら決まりのようだな」
 「はい、みんなで奥州へ行きましょうねーっ」
 「………(コクリ)」
 まるで物見遊山にでも行くかのような台詞だったが、ここに最初の同志二人が誕生した。
 早くもいい滑り出しを見て、近藤は先ほどとはうって変わって上機嫌となっている。
 「よし、これからが俺たちの本領だ。再び新選組の剣で新政府の肝を冷やしてやろうじゃねえか」
 「そりゃあいい。奥羽の山中に『誠』の文字をはためかせてえもんだ」
 「あははーっ」
 「………」
 夜の道を、四人だけが歩く。
 新たな希望を得て、再び一からの出直しである。
 だが、希望に満ちたそれは、不幸にも新たな別れの始まりをも告げていた………


 その後、永倉新八たちは予定通り芳賀宜通とともに旗揚げし、「靖共隊」を組織した。
 だが、関東での戦に敗れ、隊士の多くは北へと向かう。
 その中で、原田左之助は彰義隊へと身を投じ、上野戦争で砲弾に倒れたと言われている。
 彼らは歳三たちと別れこそすれ、幕臣新選組としての忠義には一片の曇りもなかったのである。

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