第二十一話「窮鼠にも噛ませぬ」

 戦闘初日の夜…会津、仙台両軍の兵は篝火を焚きつつ、互いに慣れぬ戦の疲れを労っていた。
 まだ大規模な戦闘が起こったわけではないが、一部の京都詰め藩士を除いては泰平の世に生きてきた仙台人は無論、会津側でも京都で戦を経験しているのはほとんどいない。
 その衝撃はいくら訓練を積んでいても弱まることはないのであった。
 …さて、そんな中でも周囲への警戒は怠れないのが戦場の常である。

 「…それじゃあ、行ってくるかな」
 祐一郎が、雪兎隊が寝床を構える民家の床から立ち上がった。
 軍議を終えて、本陣から戻ったばかりではある。
 「…ほんとにいいの? 祐一郎一人で」
 「ああ、みんなは明日の支度をしておいてくれ。索敵は隊長の仕事だからな」
 「そうなの? …でも、やっぱり一人で出歩くのは危ないよ」
 「なに、ここは味方の陣中だ。それに、周囲には他の兵もいる。滅多なことでもない限り大丈夫さ」
 「うん、そうだよね。味方の陣でくらい、気楽でいたいよね」
 「…まあ、そうだな」
 曖昧な口調で言いながら、祐一郎は大小の刀を差した。
 「それじゃあ名雪、ここは任せた」
 「うん、気を付けてね」
 名雪の声を背に受けながら、祐一郎は戸口を押し開けて外へ出た。
 春とはいえ、奥州の夜はやはり肌寒い。
 それでも周囲には、会津兵の姿が、おぼろげながら確認できる。
 どうやら本陣ではまだ何か打ち合わせが開かれているようだ。
 祐一郎は、それとは反対側に足を向ける。
 「………」
 しかし、足を向けたままそれを踏み出さない。
 そこには篝火と、その灯りから逃れた暗闇とがあるばかりであるなのだが。
 「………」
 祐一郎は視線をそのままに、懐へと手をやった。
 そして、金属質の物を手にする。
 「………どりゃっ!」
 ビシッ!
 「イタッ!」
 民家の陰になっている辺りから、声が上がった。
 「おっ、真琴。そんなところにいたのか」
 「何するのよう! 女の子に向かって!」
 その暗闇の中から、額に一文銭の直撃を受けた真琴が涙目で非難してきた。
 「今の本当に痛かったんだからぁ…」
 「それは悪かったな。だが、お前こそそんなところで何をしようとしていたんだ」
 「ちょ、ちょっとした探し物よ…」
 「ふーん、そうか。じゃあ頑張れよ」
 わざとらしく、祐一郎が片手を挙げて足を踏み出そうとしたとき、
 「あ…」
 「あっ」
 双方から声が上がった。
 「な…なによう」
 「いや…今投げた銭、どこいった?」
 「そんなもの知らないわよっ!」
 「参ったな…暗くて探しようがないぞ」
 「それぐらい投げる前に気づくべきよ。一文くらい、あきらめるのね」
 「なんだその優越感に満ちた口調は…大体、おまえだってこの暗闇で探し物をしているじゃないか」
 「ま、真琴のはもっと貴重な物なんだからっ!」
 真琴は必死で抗弁する。
 「んなことで意地にならなくても…まぁ、それならそれで、ついでに俺のも探しておいてくれよな」
 「冗談じゃないわよっ。馬鹿みたい、もう探すのやめっ!」
 さらに、怒ったように立ち上がる。
 「おまえ、言っていること無茶苦茶だぞ…」
 「真琴のは、明日の朝には見つかるからいいのっ!」
 「おまえがそれでいいならいいんだけどな。じゃ、俺は一度陣の周りを見回ってくるから」
 「あ…ちょっと…」
 「そうだ、ついでにおまえも来い。用事がなくなって暇だろ?」
 「え…」
 予想外の言葉に、真琴が狼狽える。
 が、しかし、
 「…う、うん…暇だから…」
 案外素直に、真琴は祐一郎の言に従った。
 真琴の足が踏み出されるのを確認すると、祐一郎は再び歩き出した。
 「………」
 特にそうする道理もない。
 しかし、その後を、真琴は何も言わずに付いていく。
 そのまましばらく歩くと、やがて会津兵が何人か立って警戒している陣のはずれが見えてくる。
 ふと、周囲に人がいない所で、祐一郎が口を開いた。
 「…それで、さっきは俺の首を狙うつもりだったのか?」
 「え?」
 「まさか、本当に俺がおまえの言ったことを信じていたとでも思ったのか?」
 「失礼ねっ! 真琴がそんなこと考えてたって証拠でもあるわけ!?」
 「少なくとも探し物なんかしてないだろ。それなら、おまえがやることなんてそれだけじゃないか」
 「真琴はもう、そんなことしないのっ!」
 「…え? そうなのか?」
 「もう、祐一郎の首なんてどうでもいいわよ。なんかやる気なくなっちゃったもの」
 「そいつは有り難い。ようやくおまえにも、俺の無実が理解できたんだな」
 「そういうわけじゃないけど…」
 「とにかくこれで、名雪や秋子さんにも、やっと俺の正しさが証明できるわけだ。あぁ…長かった…」
 「祐一郎が憎いことに変わりはないもの。しばらくは勘弁してあげるというだけよ」
 「…強情だなあ。薄々俺の無実が分かってきたんだろ、本当は。それなら素直にそれを認めろよ」
 「そんなもの分かるわけないでしょ。祐一郎も、真琴がまたその気になったら生きていられないんだから、せいぜい今を楽しんでおくことね」
 「おまえは身の程というものを………あれ? それならさっきはあそこで何をしていたんだって言うんだ?」
 「それは…別に祐一郎に言うことじゃないもの」
 「ほぉ…やはり俺には言えないようなことを何か…」
 「もう! どうでもいいから、早く見回りなんて済ませなさいよ!」
 真琴は、怒ったようにそう言うと、祐一郎を押しのけて先へ進もうとした。
 祐一郎も「へいへい」と言って、それに続く。
 …と、真琴が祐一郎の横を通ったとき、祐一郎にとって聞き覚えのある音がした。
 ちりん…
 それは年季の入った鈴の音である。
 「…お、おまえ、まだあの鈴持っているのか」
 「え…?」
 真琴が振り返り、手首にある、その音の主を見た。
 「嬉しいねえ。戦場にまで着けてきてもらえれば、買った甲斐があるってものだぞ」
 「この鈴は好きだから」
 「そうかそうか、それならそれを買った俺のことももうちょっと好きになれ。そうすりゃ、俺の眠りも安泰だ」
 「………」
 真琴は鈴から眼を離して、祐一郎に向かって何か言いたそうに口を開いた。
 が、結局はただ、「はぁ…」と溜息を吐いて再び歩き出しただけである。
 軽く笑みを浮かべながら、祐一郎もそのまま何も言わずに歩き出した。


 …それより少し前のこと、仙台軍の陣中ではただならぬ空気が漂っていた。
 いや、兵卒の間では比較的平穏である。緊迫していたのは指揮官クラスの者達である。
 特にこちら、官軍から送られた軍監の周りでは。
 「…そういうわけで、米沢藩の方に動きが見られ、瀬上の奴も何か動いているらしい。こうなった以上、行動は急を要する。直ちに取りかかるのだ」
 昼間、瀬上主膳と作戦について争っていた軍監が、今は声を潜めて数名の男達に命令を下している。
 「しかし…大丈夫なのですか? いくらなんでも…」
 命令に対して不安がる、歩兵服の男達。いずれも仙台軍の兵士だが、元は勤王浪士の身であった連中である。
 「案ずるな。全て総督府より出た命令である。総督府の命令は帝の御意志でもあらせられる。その旨は承知しておろう」
 「はっ…それは無論のこと」
 「安心いたせ。全て我らがよきように取りはからう。そなたらは言われたとおりのことだけをやればよい。そうすれば罪は及ばぬ」
 「信じてよろしいのでしょうな? 我らは久瀬様が仰っていたとおりにやれば、大丈夫なのですな?」
 「勿論だ。そなたらはただきっかけを作ればよい。後は全て、後詰めの者と我らで動かす」
 「ならば………なあ?」
 「うむ…こちらに罪が及ぶことなく、報償に預かれるのであらば…」
 兵士達が頷く。
 それを見て、軍監の口にも笑みが浮かんだ。
 「決まったな。それではすぐに取りかかれ。後詰めの者達もすぐに出ることになっているゆえ、安心いたせ」
 「承知いたしました。では…」
 密命を帯びた兵士達は、一斉に闇へと駆け出す。もちろんその先にあるのは…
 「上手くいきそうですな」
 と、そこに真っ黒な士官服を着た男が現れた。
 その風体からは想像しかねるが、北辰一刀流の使い手、町与力の津田である。
 「それでは津田殿、後始末、よろしく頼む」
 「お任せを」
 津田が頷くのと同時に、歩兵服姿の者十数名がパラパラと闇へと駆け出す。もちろんさっきの兵士と同じ方向へ。
 「しかし津田殿、私が聞いていた話では、相当な手練れを一名雇う手筈になっていたようだが、それはどうなっている?」
 「残念ながらその者は拙者の誘いに応じず、やむなく人数を増やすことに致しました」
 「…大丈夫なのであろうな? 万が一討ち漏らすようなことになれば…」
 「それは抜かりなく。…あの程度の者ども、拙者一人でも十分片づけられますゆえ」
 「ほう…さすがに免許皆伝の腕だけのことはあるようだな。ではその実力、見せていただこうか」
 軍監の言葉に再び津田が頷き、闇へと駆けだした。
 その姿が闇に消えるのを見て、立ち上がった軍監が呟く。
 「久瀬か………手先共々恐ろしい奴よ」


 「しかしおまえ、結局何か分かったのか?」
 陣のはずれまで来た祐一郎が、後ろの真琴に尋ねる。
 「ううん、まだ名前以外…」
 「その名前も怪しいもんだしなあ…」
 「これは間違いないわよっ」
 「まぁ、どっちにしろ俺は無実なんだからいいんだけどな」
 「だからそんなことは言ってな………」
 「…なんだ、どうした」
 突然、真琴が口をつぐんだ。
 祐一郎が振り返ると、真琴は闇の一点を一心不乱に見つめている。
 「………」
 (なんかいるのか?)
 山なのだから、動物の一匹や二匹、いない方がおかしい。しかし、真琴の様子はそれとは違う。
 「…誰か、いる」
 「誰かいる、って…それはおまえ…」
 祐一郎の顔にも緊張が走る。
 誰かというからには、真琴にはそれが人間だと分かっていることになる。
 何を根拠にそういっているのかは疑問だったが、祐一郎は真琴の判断に疑いを持つことなく闇を見据えた。
 しかし、光はないに等しい。
 得体の知れない者から受ける不安感に、祐一郎は脂汗を流し続ける。
 暫しの静寂の後、予想しなかった、金属の衝突音が二人の耳に飛び込んできた。
 「!!」
 「な、なんだ一体…」
 祐一郎は見張りの兵士を呼ぶのも忘れ、ひたすら闇を凝視し続けた。
 気配だけは察した真琴も、その正体までは分からず、怯えるような様子で祐一郎に張り付いている。
 …だが、意外にもその音はすぐにやんだ。
 そして代わりに聞こえてきた声は…
 「いやぁ相沢殿、危のうございましたなぁ」
 「だ、誰!?」
 怯える真琴と祐一郎の前に、どこぞで見た笠の男が現れた。
 「お、お前は…」
 「はい、相沢殿には霧島と名乗った者にございます」
 いやに遠回しな名乗りの後、あの時と同じく、怪しげな笠男達がぞろぞろと篝火の下へと現れ出てきた。
 赤々とした篝火に照らされると、その怪しさも尋常でない。
 「こ、こんなところで一体何を…いや、そもそもさっきの物音は何だ?」
 「いえいえ、相沢殿に危害をなそうとしていた者達を朝まで眠らせただけにございますよ」
 軽く霧島は言ったが、その発言内容はただならない。
 「………何かとんでもないことを言っているようだが、説明してくれないか」
 「はい、それはもちろん。実は…」
 「待て、今度は俺にも分かるようにな」
 「はいはい。実は我ら、密かにこの陣の周りを警備しておりましたところ、仙台兵の姿をした者が何名か近寄ってきたので、見張っておりました」
 「それは…仙台の密偵と言うことか」
 「私どももそう思ったのですが、そいつら何と、相沢殿たちに銃を構えだしたので、やむなくこのような仕儀に…」
 「俺たちをわざわざ撃ち殺そうとしたのか? なんて馬鹿なことを…」
 「はい、なぜわざわざそのように目立つことまでして相沢殿たちを撃とうとしたのか…密偵の振る舞いとも思えず、さらには本当に仙台兵なのかも怪しくなりますな。いやまったく、何から何まで怪しい奴らにございます」
 「こんな闇の中で、平然とこんなことしている人も十分怪しいわよう…」
 祐一郎の後ろで、真琴が警戒している。
 「おいおい、俺たちを救ってくれたんだぞ、霧島殿たちは」
 「はは…真琴殿の仰ることも当然のこと」
 笠の下から、霧島だけが朗らかな笑い声をあげる。
 後ろの面々は押し黙ったままなだけに、逆に不気味さが際だつ。
 「いや、我らも長年山で修行を積んでおりますれば、これくらいのことは…」
 「…お頭」
 その時、後ろにいた笠男が霧島に近寄り、何か耳打ちした。
 (やっぱり、怪しいよなあ…)
 その光景を見ながら、祐一郎も霧島たちの真意を測りかね、首を傾げる。
 よくよく思えば、陣の周囲にこんな連中が(それも大人数で)ずっとうろついていたことになり、そのことに全く気づく様子もなかったことにも恐ろしくなる。
 「ちっ…」
 その時、さっきは笑い声を挙げていた霧島の口から、聞く者に恐怖を与えそうな舌打ちが聞こえた。
 笠男たちが、一斉に身構える。
 「相沢殿…」
 「え?」
 「私が振り返ったら、すぐに伏せるのですぞ」
 「は? 一体、何を…」
 「…祐一郎」
 真琴が祐一郎の袖を引っ張る。
 「…まだ、誰かいる」
 再び、祐一郎の顔に緊張が戻る。
 そして、それから二秒とたたなかった。
 ダダァーン!
 銃の射撃音が響き、笠男達が様々な方向に飛び、祐一郎と真琴が地に伏せ、その頭上を弾が飛んだ。
 その最中、伏せる祐一郎の視界に、空中で懐から短筒を抜く笠男の姿が映った。
 ひこっ!
 生まれてこの方、祐一郎が聞いたことない音と共に、笠男が引き金を引くのが見えた。
 「ぐあっ!」
 闇の中から叫び声。
 同時に、笠男たちは地に足を付ける。
 さらにその手から、鋭い刃を持つ小柄が闇へと飛ぶ。
 もちろん、この刹那的な時間の間に銃の弾を装填することなどできはしない。
 「ぐっ!」
 痛みに堪える声が、飛んだ小柄の数だけ、闇から次々と飛び出してくる。
 「…まだ居るか。逃さず仕留めるのだ!」
 霧島の命に、笠男たちが得物を構えて再び闇へと飛び込もうとする。
 が、その時、
 ダダァーン!
 再びの銃声。しかし先ほどの銃声から二十秒と経っていない。
 「!? しまった、まだ撃っていない敵が居たか!」
 霧島が焦る。
 銃弾は笠男の一人の肩をかすめたらしく、突入する笠男の一人が仰向けにどっと倒れた。
 「大丈夫か!」
 「御安心を、傷は浅手にござ…」
 と、倒れた笠男が言いかけたその時である。
 ガサガサッ
 闇の中から草をかき分ける音が聞こえた。
 それと共に、飛び出す影が一つ!
 さらにそれは、真っ直ぐに倒れた笠男へと向かう。
 「!!」
 思わず、闇に突入しかけた笠男たちの足が止まった。
 ひこっ!
 ピシッ!
 再びの奇妙な音と、何かをはじく金属音。
 「くっ!」
 笠男の一人が狼狽えたような声をあげた。
 影の方は止まらない。
 そのまま倒れた笠男へと肉薄する。
 「死ねぇ!」
 闇の中、振り上げた刀が映った。
 バキイ!
 だが、肉を切る音の代わりに無機質な衝突音が響く。
 「よし、広助! そのまま押さえつけろ!」
 辛うじて倒れた笠男と影の間に割って入った悪猫軒広助が、手の甲に備えた爪で刀を止めていた。
 「邪魔をするか!」
 「!?」
 しかし影の方も相当な手練れであったようだ。
 巧みに広助の爪をかわし、逆に広助へと刃を振り下ろす。
 手練れという点では人後に落ちないであろう広助も、後方に飛び下がることで何とかやり過ごす。
 「ちっ! 皆の者、押し包んで組み伏せるのだ!」
 霧島の命に、音もなく、四方八方から笠男達が影を包み込む。
 そのまま、一瞬の静止状態が訪れた。
 「何だ! 何事だ!」
 と、突如後方から聞こえてきた声に、祐一郎ははっと我に返る。
 「ちっ…会津の警戒兵か」
 影が一言呟くと、瞬時に後ろへ駆け出す。
 一人の笠男がその前に立ちふさがろうとしたが、影はすさまじい剣気をその笠男に放った。
 「!!」
 祐一郎には暗すぎてよく判らなかったが、影は居合いを笠男に浴びせたらしい。
 居合いによって得物を斬り折られた笠男は、その勢いで後ろへとはねとばされる形となった。
 傷を負ったかは判らない。
 「おのれ、逃がすか!」
 霧島たちも直ちにその後を追う。
 さらにその姿も、闇へと消える。
 …そして、今の騒動が嘘であったかのように、静寂が訪れる。
 「………」
 一方取り残された二人、すっかり気圧された祐一郎と真琴は、いまだ地に伏せたままである。
 「誰か倒れているぞ!」
 後ろから聞こえた声に、祐一郎が振り向いた。
 見ると、会津兵がどやどやとこちらへ駆け寄ってくる。
 「これは、いかがなされました!?」
 「あ、ああ…」
 大変なことになっていると気づいた祐一郎は、慌てて起きあがる。少し遅れて真琴も。
 「御怪我は!?」
 「い、いや、大丈夫だ…怪我はない」
 「それはようございました! それで、先ほどの銃声は!?」
 興奮気味の会津兵が祐一郎へ矢継ぎ早に尋ねる。
 その最中にも、次々と他の兵士達が駆け寄ってくる。
 「ま、待て。落ち着いて話そう」
 どんどん数を増してくる会津兵達に、むしろ圧倒される。
 祐一郎は騒ぎ立てる兵士達を静めようとしたが、銃声の正体を明かさない限りはとても無理な話であった。
 「参ったな…」
 人波を前に呆然とする祐一郎をよそに、群衆の方にも当事者が祐一郎と真琴(いや、真琴の方は名が知られていないかもしれない)であることが知れ渡りだしていた。
 「もぅ! 何なのよ! 撃ち殺されかけたり、変な人たちがまた現れたり、囲まれたり…真琴が何か悪いことしたって言うの!?」
 「おまえも落ち着け。…それより、さっきのことはとりあえず黙っておくんだぞ」
 「なんで?」
 「決まっている。霧島殿たちの存在が露見するとまずいからな」
 「でも、あの人達も十分怪しいのに…」
 「とにかく黙れ」
 真琴は随分御立腹のようだが、とりあえず、口を尖らせながらも、黙った。
 「…それで相沢様、何があったのです?」
 「何って………」
 祐一郎の頭がフル回転する。
 「…ちょうどここを見回っていた時、銃の不具合を思い出したので、点検をしていたのだ」
 「はぁ…点検を、ですか」
 「そうしていたら、操作を誤って暴発させてしまって…」
 「ぼ、暴発? …本当に怪我なさっていないのですか?」
 「ああ、それは………」
 と、言いかけて、祐一郎は最初の銃弾が頭上を通っていったことを思い出す。
 「…ちょうど頭上を通って向こうへ飛んでいったからな。いや、危なかった」
 現実に弾が残っていれば、信憑性もあることだろう。
 「怪我がないならよろしゅうございますが…拙者は、二回銃声を耳にいたしましたが、それは一体…」
 「う…」
 が、さすがに同一人物が暴発を二回というのは不自然極まりない。
 祐一郎も一瞬詰まったが、そこには幸運にも有力な手駒があった。
 「いや、二発目はこいつの不手際でやった」
 そう言って、不満げに沈黙している真琴を指さす。
 「………えっ!?」
 一方、黙らされた上に、突然責任転嫁された真琴は、状況を理解できずに狼狽える。
 だが、計算高い祐一郎はそれも読んでいた。
 「まぁ、そういうわけでな、こいつも俺を手伝おうとしてやってしまっただけなんだ。悪気はない。なに、この件については俺が神尾様から直々に申し上げて責を負うから、安心してくれ」
 「は、はぁ…」
 祐一郎は、畳みかけるように会津兵を説いた。
 うっかり真琴がわめき出すと厄介なことになりかねないし、第一、この会津兵も元々は足軽である。どうせ神尾に報告して裁断を仰がなくてはならないのだから、この上官にやらせておけばいいだけのことなのである。
 …尤も祐一郎からすれば、真琴の事情を理解している(はずの)神尾に直接伝えないとややこしいことになるので、このような策を弄しているのだが。
 「それでは、神尾様もこちらへいらっしゃるそうなので、後のことは…」
 「ああ、任しておけ。お前たちも安心して見張りを続けてくれ」
 銃声の原因(偽物だが)が判り、安心した会津兵達はぞろぞろと帰っていく。
 それを見て、祐一郎はようやく安堵した。
 「さて、これで万事解決、と…」
 ボカッ!
 「痛っ! 何しやがる!」
 「人に罪押しつけておいて、何が万事解決なのよっ!」
 「おとなしく黙っていろと言ったじゃないか。これからきっちり後始末するんだから、おとなしくしていろ」
 「おとなしくとは言ってないーっ!」
 「どっちでも同じだろうが、黙っていたら普通はおとなしくなるもんだ」
 「…それは祐一郎が悪い」
 真琴をなだめようとしていた祐一郎に、背後から声がかかった。
 「おっ、名雪。おまえも野次馬か?」
 「違うよ…何か騒ぎになっているからひょっとしてと思って来てみたら、やっぱり心配したとおりだったんだよ…」
 「まったく、俺たちの隊を指揮する方が暴発騒ぎの張本人だなんて、明日からやりづらいじゃないか」
 「だから一人で見回りさせるのは止めるべきだったのよ、名雪」
 雪兎隊の士官たちが、口々に非難する。
 「そんなこと言ってなかっただろ………大体なあ、まずこちらの話を聞いてから非難してくれよ」
 「真琴ちゃんに罪をかぶせた言い訳なんて、聞いても同じだよ」
 「言い訳なんてする気はないぞ。今そこで何があったのか、名雪たちになら言っていいだろ」
 「なんだ、虚言でも吐く気か、相沢」
 「…だから、俺の話を聞いてから言え。それに、当の真琴も見ていたんだから、証拠はたっぷりだ」
 「…その話は、俺が聞いて問題ないことか?」
 「!}
 雪兎隊の一同、びくっとして振り返る。
 「…なんだ、国之崎殿か。驚かせないで下さいよ」
 夜とはいえ、誰にも気づかれずに至近距離まで接近していたこの男は、やはりただ者ではないようだ…。
 「神尾様ももうすぐ来られる。子細はその時聞くことにしていいか?」
 「そうですね」
 「しかし、さっきすれ違った歩兵達の話では、相沢殿が銃を暴発させたとかいうことだったが…」
 「あ、それはあの…」
 「虚言だな?」
 「…え?」
 「そこの土嚢に突き刺さっていたのは椎の実型の弾丸、それも何発もだ。どう見ても、おまえの手にあるゲベール銃から出たもんじゃないな」
 国之崎が、指先で鉛玉を転がしながら、鋭い眼光で祐一郎を見据えた。
 今言おうとしていたこととはいえ、祐一郎の背筋がぞくりとする。
 「こいつが仙台側のミニエー銃からでたものだとすれば…結構な大事だな」
 雪兎隊の一同、ぼかんとしてこの剣客を見る。
 (なんでこの暗闇で、しかもこの短時間で、小さい弾丸を見つけられるんだよ…)
 得体の知れないこの男に、祐一郎も改めて恐怖する。それにひょっとしたら、まだ弾丸は冷め切ってないのではないか…
 しかし、祐一郎の不手際でないことが判るなら、とりあえず説得する手間は省けた。
 「それが判っていただけるなら、神尾様へ穏便に収めて頂くように…」
 「仙台兵から銃撃されて、穏便に、だと?」
 ギロリと祐一郎を見る。
 「いや、それには少々事情が…」
 「事情か…いいだろう、ちょうど神尾様もいらっしゃったようだ」
 後ろにあごをしゃくる国之崎の言うとおり、陣笠に士官服の神尾が慌てた様子でこちらへとやってくるのが見えた。
 「いやいや、えらい騒ぎを起こしてくれたな、相沢」
 「申し訳ございません」
 「一体何があったのだ。暴発騒ぎだと兵達は言っているが」
 「神尾様、それが暴発ではなく、相沢殿が銃撃されたということらしく…」
 「なに、銃撃!?」
 「はい、それがですね…」
 と、言いかけて、祐一郎ははたと困る。
 その事情が祐一郎にもさっぱり理解できていなかった。
 強いて言うならば、「先日の霧島たちが仙台兵らしき者を眠らせ、その後さらにその仲間らしき連中と争った…」というしかない。
 「あー…」
 「どうした」
 「…それが、私にも事情がよくわからなくて」
 「………」
 神尾と国之崎が目を合わせた。
 「…一度牢に入れてみましょうか? ひょっとしたら仙台に通じている恐れも…」
 「待て待て! もう少ししたら事情がわかるかもしれない!」
 「意味不明なことを…」
 「これだけ話を引っ張っておいて、虚言の一つも吐けなかったか…往生際の悪い」
 祐一郎の姿に、国之崎と北川が嘆いた。
 「真琴、おまえも何か言え!」
 「なによう、黙れと言ったり、喋れと言ったり…」
 「そんなこと言っている場合じゃないだろ!」
 「…祐一郎、悪いことしたなら早めに謝った方が…」
 名雪まで心配そうな顔をしたときだった。
 「あー、いやいや、その件については私から説明を」
 孤立した祐一郎に、闇の中から光明が射してきた。
 「ん? 何者だ?」
 声の方へ神尾が目をやる。
 「あ、これはこれはお方々、久しぶりにございますなあ」
 またも闇から親しげに現れた霧島は、笠を取ってお辞儀をした。
 「ほう…」
 「おお、確か霧島殿とかおっしゃった…」
 「いかにも、霧島乃太夫にござる」
 霧島の挨拶に続き、他の笠男達がぞろぞろと現れ出てくる。
 「…誰? この人たち」
 「あ、わたしたちが仙台に行く途中で会った………」
 不審そうな香里からの問いに、名雪が詰まる。
 名雪も誰も、霧島の職業など知るはずもなかった。
 「途中であった…人達だよ」
 「ふーん」
 香里は納得したようなしてないような返事をして、霧島たちを見続ける。
 香里からすれば、危険人物でなければどうでもいいのかもしれない。
 北川たち雪兎隊の面々も、平然と陣中に進入してきた霧島たちに、圧倒された様子だ。
 「それで、神尾様…でしたな? 神尾様には私から説明させていただきましょう」
 「お、おお…助かった」
 祐一郎が、ようやく安堵の溜息を吐いた。

 霧島はまず、事の始まりを神尾達に説明し、さらに、追跡した人影を逃してしまった旨を告げた。
 そのことを霧島は無念そうに語りながらも、口調だけは明るかった。
 しかし、表情は崩しきっていない。
 「…それで、そやつらが何者かは判明したのか?」
 「さて、それがはっきりとは判らぬのですが…姿からすれば仙台軍の関係者ではありましょう。しかし、それが本当に仙台兵かは何とも」
 「しかしなあ…目的がわからん」
 「はい、神尾様の仰るとおり、このようなことをしてもさしたる益はないように思えますな」
 「祐一郎はわたしたちの隊長だから、狙われたんじゃないのかな」
 「それもあり得る話ですが…相沢様があそこに現れることは偶然だったのでしょう? それならば…おそらく会津方の人間なら誰でもよかったのでは、と思えるのです」
 「それに、あたしだったら相沢君を狙うより神尾様を狙うわね」
 「でも、神尾様には国之崎さんがいつも付いているから…」
 「左様、国之崎は鉄砲玉も止められるからな。にはは」
 「………」
 神尾の台詞に軽く頷く国之崎。
 …しかし、それがあながち冗談とも思えないところがまた少し怖いところだ。
 と、その国之崎が手を挙げた。
 「…だが、霧島殿が倒した者はどうだったのだ。その者を締め上げてはどうだ」
 「さて、それが妙なことに、我らが眠らせておいたはずの男は全員、消えておりましたのです」
 「てことは…その人影が連れ帰ったのか? まさか、何人もの人間を一度に運べるわけがないさ」
 「…相当数の人間が後方に控えていた、ということか」
 「はい、二度目の射撃をやってきた敵、この数は不明ですが、銃声の数からして五名はいたはず。となれば、影が我らと斬り合いをやっている間に運び出すことも可能ということに。しかも、それ以上の人数がいる可能性も十分に」
 「それだけの人間を、一体何に使うつもりだったのか…」
 「やはり仙台…いや、ひょっとしたら官軍が何かとんでもないことをやらかそうとしていたのかもしれんぞ」
 「それに、芋彦が撃った敵は死んでいる可能性もございます。短筒の弾を受けたのだから、生きていても満足に動けるかどうか…」
 「…芋彦?」
 「ああ、この者のことです」
 そう言って、霧島は左後ろに立つ笠男を指さした。
 御多分に漏れず、この笠男も相変わらず顔も見せようとしないが、腰には奇妙な形をした短筒があり、それが唯一この男を特徴づけている。
 「…そう言えばあんた、変な音のする短筒を使っていたな」
 「………これのことか?」
 芋彦は、その短筒を腰から出して祐一郎に見せた。その間も、顔は意図的に見せようとしない。
 祐一郎からしても不気味以外の何物でもなかったが、とりあえず短筒は受け取る。
 「へぇ…短筒を手に持ったのは初めてだが…これはまた珍しい形だな」
 「左様、普通の短筒とは大きく異なり申す。近江国友村で作られた『気砲』という物」
 「気砲? なんだそりゃ」
 「…火薬を用いずに、弾を撃てる短筒にござる」
 要は、現代のエアピストルに似たような物だ。
 これとは別物だが、名工の国友一貫斎の作が現存すると聞く。
 「…まあ、何だかよく判らないが、とりあえず優れた武器であることは判った」
 「………」
 祐一郎から、芋彦は無言で気砲を受け取る。
 笠男の武器については少し判ったが、相変わらず笠男本人については何も語ろうとしない。
 それだけは、明朗に語る霧島も同じである。
 さりげなく、遠回しに聞き出そうとしても、笑い飛ばして終わらせてしまうのだ。
 「それでです。敵の正体も目的も分からない以上、手の打ちようがありませぬ。仙台との関係を悪化させるようなことになれば、全くの無意味。ここはやはり穏便に済ませて下され」
 「む…穏便にとは言うが…」
 責任者である神尾の顔が渋くなる。
 立場から言えば当然のことだが、神尾は誰よりも和平を望む者である。しばらく考えると、素直に頷いた。
 「いやいや、神尾様のご同意がいただけるなら安心にございます。仙台とのことはもうじき片が付きましょうが…こうなると、相沢様の御身が心配ですな」
 「へ? いや、俺は別に…」
 「折角ですから、我が手の者から一人警護に付けさせましょう。神尾様、よろしいですかな?」
 「け、警護というが…」
 さすがの神尾も困惑する。
 こんな得体の知れない人間を陣中においておくだけで問題になりそうだ。
 「国之崎様はいかがお思いに?」
 「………」
 国之崎は無表情に考える。
 「…神尾様、ここは許可なさるのが賢明かと」
 「む…国之崎がそう言うか…」
 「いえいえ、身辺に置かなくても結構にございます。多少距離を置いて警護することを許可していただければ幸いにござりますゆえ」
 「うむ…」
 この会話風景を、祐一郎は奇怪なものでも見るように眺めていた。
 単なる剣術者であるはずの国之崎がまるで参謀のように扱われている様子、霧島が警護することへの許可を熱望する様子、両方が異常だ。
 とりわけ霧島の唐突な発言である。
 このような発言、普通なら何か裏があると見て当然であろう。大体、霧島が会津に味方をする義理など、どこにあるというのだろう。それは霧島の正体が分かれば判ることなのかもしれないが。
 しかし、それでも…
 「承知した。警護を許可いたす」
 許可は下りてしまうのである。
 「ありがたきことにござります。それでは、この悪猫軒広助を警護に付けさせますゆえ、ご承知下さい。あ、時折相沢様の身辺に参ることもありましょうが、それもよろしいですかな?」
 「結構結構。存分になされよ」
 神尾は、霧島の要求を十割呑む形で頷いた。当の祐一郎の意見を差し挟む余地無く。
 「さすが神尾様にございます。順調に済んでようございました。それでは、我らは引き上げましょう。皆様方、御武運を」
 要求が通ると、霧島はすぐさま笠をかぶって闇へと歩き出した。
 「ま、待ってくれ!」
 それを見て、祐一郎は咄嗟に叫んだ。
 「…? 何事ですかな?」
 「いや…その、どうして我ら会津松平家に味方をなさって下さるのか、と…」
 「はは、相沢様にはそれが気になりますかな?」
 「それは勿論」
 「いえいえ、全て相沢様と同じにございますよ。我らも会津で生まれ育った者、故郷と仲間の為なら労は惜しみませぬ」
 「…そうか」
 「はい。それでは相沢様、どうかご無事で…」
 霧島は軽く笑みを浮かべ、再び闇へと去った。
 去って姿が見えなくなってしまうと、いつもと変わらない夜の空気が戻ってくる。
 ただ、雪兎隊の面々が呆然としているが。
 「よし、これで一件落着。そなたらも早う陣へ帰れ」
 「は、はい」
 「国之崎、参るぞ」
 「はっ…」
 神尾について本陣へ戻ろうとした国之崎だったが、去り際に祐一郎の背中へ一言掛けた。
 「お前は死ぬな」
 「…え?」
 振り向く祐一郎。
 だが、既に国之崎は神尾を追って遙か遠くにあった。
 「………」
 突然ではあったが、国之崎は霧島のいわんとしていることが何かわかっているのかもしれない。
 神尾に許可を出すよう勧めたことからも、そんな様子が見て取れる。
 祐一郎にはそのように映ったが、恐らく尋ねたところでそれを教えてくれるとは思えない。
 思えば(今に始まったことではないが)、霧島同様、国之崎の正体もまったくの不明である。
 「まぁ、いいさ…そのうち、嫌でも判ることなんだろう」
 「祐一郎〜、戻るよ〜」
 「おう」
 祐一郎も、仲間の元へ歩き出した。


 その翌日、会津と仙台の両軍に、米沢藩からの使者が来た。
 勿論、その伝えてきた内容は会津と仙台の停戦を勧める旨、そして会津松平家の討伐を中止するように奥羽諸藩で鎮撫総督府嘆願しようという今後の計画だった。
 仙台軍の指揮官二人は快く承諾。官軍内部にもこれを支持する者が出て、とりあえず会津の狙いは達成されたのだった。
 引き続き、諸藩の軍も順次撤兵。会津軍も藩境から兵を引き上げていった。
 朝敵の危機は去ったかに見えた。
 …しかし、新政府も総督府も、それほど甘い革命軍ではなかったのである。

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