第二十四話「開戦の風景」

 閏四月二十日、越後国高田城の中に、北越鎮撫総督府参謀である岩村精一郎の姿はあった。
 岩村だけではない、先任参謀である黒田了介、山県狂介もいる。
 それはつまり、北越鎮撫総督軍の後続部隊も到着し、軍勢の集結を完了していることを示している。
 「奥羽の方は、武力征伐に踏み切ることに異存なしか」
 その軍勢の総指揮官である黒田が、奥羽鎮撫総督軍との連絡役を務めていた岩村に尋ねる。
 「ええ、近いうちに会津攻撃の命令を下すそうです」
 「そうか、しかし奥羽の連中は不服なのであろう?」
 「左様にございます」
 「では、我らの軍勢で緒戦から圧倒的勝利を見せ付けてやらねばなるまいな」
 「なんの、越後にいる会津兵など、たかが知れておりますれば、奥羽諸家の恭順も間近にございましょう」
 山県が自信たっぷりに言う。
 四境戦争の際、小倉口で幕府軍を潰走させた山県にとっては、この圧倒的優位な北越の戦で負けるはずなどありえないのである。
 しかし、彼らはまだ、あのことを知らなかった。
 世羅の暗殺、このことが示す事態は、彼らの楽観に少なからず影を落としている。
 だが…
 「では、作戦通り、上州の軍勢は明日攻撃ということで」
 「うむ、問題ない」
 「奥羽の者たちも、自分たちの小細工が無駄であったことを思い知るでしょうな」
 だが、現実には、彼らは楽観的であった。
 後の総理大臣になるほどの人物を二人も擁していようと、情報がなければ正しい判断は下しようがないのだから、やむをえないことではあるが。
 とにかく、彼らの展望は大きく裏切られ、
 世羅は殺されており、仙台藩、そして奥羽諸家は会津擁護・徹底抗戦へと急激に傾いていたのである。
 「飛び地の軍勢など、数日ですぐに片付きましょう。今考えるべきは、長岡をどうするかにござる」
 この男、岩村精一郎も自信に満ち溢れていた。
 北越方面の会津勢は軽く片付くと考えていた岩村は、総督府に恭順しようとしない長岡藩の討伐も辞さない気でいたのである。
 「しかし、長岡は会津に味方する気も毛頭無いようだが」
 「左様、長岡も越後の会津勢が全滅すれば、我らになびいてくるであろう」
 黒田も山県も、長岡をそれほど重要視していなかった。
 傍から見れば、長岡藩は意思決定の鈍い小藩に過ぎず、柏崎にいる抗戦意思鮮明な桑名藩の残党の方がよっぽど警戒すべき相手であった。
 しかし、岩村は違う。
 岩村がそもそもここへ来たのは、長岡藩の総督府への態度を怪しんで、新政府が援軍として派遣してきたからである。
 だから、実際には、岩村は北越鎮撫総督軍の一員ではない。
 明確な目的、長岡藩を警戒するために、ここにいるわけだ。
 「長岡牧野家は、いつ会津に加担して我らへ攻めかかってくるか分からぬ相手にござる。長岡への武威活動も、怠るわけには参りませぬぞ」
 「ふむ…そうかのう」
 「確かに、長岡の態度は無礼にござる」
 山県は、岩村に同調するような意見を言ったが、さらに付け加えた。
 「しかし、我らの手元にある兵は、会津を攻めるには十分なれど、長岡を攻めるほどの兵力ではありませぬぞ」
 山県の言うとおり、本当に信頼できる兵は、山県が連れてきた長州兵だけである。
 後は、戦意薄い広島藩兵、尾張藩兵、そして地元越後諸藩と、明日攻撃を開始することになっている上州諸藩の兵である。
 当然、越後諸藩の大多数は旧式装備の軍勢だ。
 そして悪いことに、問題の長岡藩に強力な軍隊ができつつあるという情報が入ってきているのである。
 決して新政府に楯突くつもりはなく、ただ領地を守るため、という長岡側からの回答はあるが、その長岡と戦になれば、現状では新政府にとっても危険と言わざるを得ないだろう。
 「しかし、長岡に甘い顔をすれば、我らが嘗められることになりますぞ。いや、既に奴らは総督府を嘗めきっている」
 「まぁ、確かに岩村殿の言うことにも一理ある」
 黒田が、口を開いた。
 「長岡に、妙な真似はできぬ、ということを教えてやる必要はあるな」
 「うむ、そのとおり」
 「しからば、我らは当初の予定を少々変えよう。二隊にわけて進軍させることはそのままに、目的駐留地を長岡にいたす」
 「よろしくお頼み申す」
 しかし、この計画も、楽観的展望による計画である。
 奥羽も越後も同じ。
 事は、そう簡単には運ばない。

 越後南部に、小出島という土地がある。
 現在では小出町と呼ばれているそうだ。
 ここも会津藩の飛び地の一つであり、会津松平家の陣屋がある。
 陣屋の中では、越後方面における会津軍の主要なメンバーが、間近に迫った戦に備え、軍議を進めているところである。
 ここの奉行は町野源之助、彼が指揮官である。
 「三国峠の守りは万全か?」
 「はっ、既に罠の設置は完了したとの伝令が来ております」
 「これで持ちこたえられればよいがのう」
 軍議に参加している面々の顔はおぼつかない。
 それも仕方のないことで、現在ここにいる兵力はあまりにも心もとない数である。
 会津松平家の正規部隊はわずか百名足らず、後は町野源之助が直接指揮する修験隊八十名と緊急的に農民から徴兵した百五十名ほどの民兵部隊である。
 そして、その大部分は上野国と越後国の境界線にある、三国峠を固めている。
 上州諸藩連合軍の来週に備えるためだ。
 しかし、その上州連合軍の数が千百名を数える部隊である。正面から戦っても勝ち目は薄い。
 「味方の動向は?」
 「柏崎の軍勢と、衝鋒隊が北国街道を固めております。おそらく、そう簡単には北越鎮撫軍も進めないでしょう」
 衝鋒隊とは、以前にも書いた、古屋佐久左衛門を頭取とする、旧幕府陸軍の部隊である。
 この時も強力な装備を有した大部隊として、官軍に少なからず脅威となっていた。
 「進まれては、我らは終わりなのだ。小千谷や十日町が敵の手に落ちれば、六日町にも敵の侵入を許し、三国峠の守備隊は援軍の望みもないまま敵中孤立することになる」
 「それだけは避けねばなりませぬな」
 一同、うなずく。
 小千谷は小出町から北西に進んだところで、北の長岡藩と隣接しており、十日町はその南に位置している。
 その十日町から東に進んだところに六日町があり、小出島と三国峠を結ぶ街道上に位置している。
 もし十日町に敵が侵入してくれば、六日町に到達する前に三国峠の守備隊を撤退させなければならなくなるだろう。
 「今の手勢では、小千谷や十日町を固める余裕はない。桑名松平家と衝鋒隊で鎮撫総督軍を抑えてもらい、その間に上州からの軍勢を撃退せねばならない」
 「しかし、たとえ抑えが上手くいったとしても、この兵力では…」
 「既に会津から援軍が出ているはずだ。正規軍が到着すれば、上州軍を退けることも可能であろう」
 「うむ、上州の軍勢さえ追い散らせば、兵力を集中して鎮撫総督軍本隊を迎え撃つこともできよう」
 全ては、いかに時間を稼ぐかにかかっている、と町野は考えた。
 そのためにも…
 (早く、増援に来てもらわねば…)
 内心、町野は焦っていた。
 最前線で情報収集している彼は、新政府軍全体が、攻勢ムードになりつつあることを感じ取っていた。
 恐らく、会津・新政府間における、最初の合戦はここで起こるだろう。
 だが、別の場所で合戦が起こるのも、それほど遅くはないと思われる。
 果たして、ここに長期間兵力を当てることができるだろうか。
 不安は尽きない。
 (だが、今は目の前の敵を倒すしかない)
 町野は改めてそう決意すると、
 「では、拙者は三国峠へ参る。ここはお任せいたした」
 「うむ、御武運を祈っており申す」
 初老の同輩の声を背に、陣屋を後にした。

 「水原より書状が届いております」
 同日、長岡城には会津藩からの書状が届いていた。
 水原も会津藩の飛び地の一つであり、越後方面における会津軍の総司令部、軍議所が置かれていた。
 「またか…」
 越後の地図をにらんでいた河井継之助は、その報告を聞くと、低く呻きながら天を仰いだ。
 内容は聞かなくてもわかっていた。
 また、会津と共に新政府軍と戦うよう要請してきたのだ。
 「いかように回答いたしましょうか」
 「ふむ…」
 長岡藩公用方の植田十兵衛の問いに対しても、河井は再び呻いた。
 今後の戦略を議論していた席の空気は、河井の呻きとともに、一気に重くなった。
 「…どう答えても、変わりません」
 その空気の中、植田とともに鎮撫総督府との外交を担当している里村が言った。
 「私たちは、誰とも与さないのですから」
 「しかし里村殿…無用に会津松平家を刺激するようなことは…」
 「会津を刺激しても、攻めてはきませんから」
 里村は、瞑目して言い放った。
 「刺激して攻めて来るのは、総督府です」
 「うむ…確かに里村殿の言うとおりだ」
 植田と里村の会話を聞いていた河井がうなずく。
 「ここは、毅然として協力する意思のないことを示す必要があろう。そうだな、折島を呼んでくれぬか」
 「折島…折島甲平太でありますか?」
 「そうだ」
 「会津との…折衝をさせるのですか?」
 「そうだ」
 「わかり申した…」
 植田は怪訝そうな顔をしたまま、折島甲平太を呼ぶため退室していった。
 「…よろしいのですか?」
 里村が瞑目したまま尋ねる。
 「親族が会津にいる者に任せることが心配か?」
 「ええ」
 「案ずることはない。逆に折島が頑として断っていれば、会津軍も諦めがつくというもの」
 「そう…でしょうか」
 「心配なら、里村殿も会津との折衝に回るかね?」
 「嫌です」


 会津から南東に向かったところに、白河という土地がある。
 白河藩は親藩・譜代の大名が代々治めてきた土地で、寛政期の老中松平定信が田安家から養子に入ったのも、この白河藩である。
 幕末の頃は、阿部家が当初治めていたが、兵庫開港問題を巡る対米外交の責任を取らされ棚倉藩へ転封されて以降、天領となっている。
 また、白河街道の起点ということからも分かる通り、ここは江戸から奥州へと向かう折の要所である。
 そして、交通の要所ということは、軍事の要所でもある。
 ………
 世羅の死は、ある意味重要な転機であった。
 だが、奥羽諸藩からの嘆願書が却下された時点で、既に大流は決していたのかもしれない。
 その流れが、世羅の死を合図に激流となるのだが、それは恐らく、大山格之助の予想を超えていたであろう。
 状況も、必ずしも大山ら奥羽総督府に好意的でなかった。
 増援要請を江戸に送ったものの、彰義隊が寛永寺に駐留し、大鳥圭介と土方歳三らの軍勢が日光方面で策動している現状では、奥羽に割く兵力はないとにべもない返答が返ってきた。
 そうこうしているうちに、会津藩と並んで討伐対象であった庄内藩との戦線の旗色が悪くなってきた。
 圧倒的に兵力が鎮撫総督側に不利だったので、当初より予想されたことではあったが、これにより、奥州南方の軍事拠点を総督府軍で確保することが難しくなってきた。
 大山は世羅の死を「意外と早い」と感じ取っていたが、実際には「かなり早すぎた」のである。
 この後の事件の知らせを聞いた大山は、「世羅は当人にとっても総督府にとってもやり過ぎおった…」と思うことになる。
 その事件、閏四月二十日、世羅の死の翌日、既に会津と仙台は首脳部同士で動いていた。
 ………
 「会津だ! 会津が攻めてきた!」
 明け方、白河城で見張りをしていた棚倉藩の足軽が、慌てて叫びながら櫓を駆け下りてきた。
 寝ぼけ眼で宿直の番をしていた足軽たちも、その報せに眠気を吹っ飛ばされて立ち上がった。
 「あ、会津だと!」
 「攻めてきたのか? 本当に攻めてきたのか?」
 「と、とにかくこうしちゃおれん、すぐに組頭様に伝えるのだ!」
 事態をよく認識しきれないまま、足軽たちは上司へ報せに廊下を駆けていった。
 彼らの狼狽も無理からぬことである。
 この白河城は、奥羽鎮撫総督府からの命令で、関東から官軍が来るまで奥州諸藩の兵で守備していただけなのである。
 会津若松から近いとはいえ、官軍ではなく会津軍が来るとは誰も考えていなかった。
 …いや、誰もというわけではないのだが。
 ………
 評定の間では、守備を任されていた諸藩の代表が軍議を開こうとしていた。
 その諸藩とは、二本松藩、棚倉藩、三春藩、常陸泉藩、仙台藩…
 「…おや、仙台の坂英力殿はいずこへ?」
 軍議が始まるのを待っていた棚倉藩の代表が、ふと口にした。
 「そういえば…遅いですな」
 「どうしたんでしょうな、このような非常事態に」
 諸藩の代表が、不審に思い始めた時であった。
 「た、大変です!」
 一人の足軽が駆け込んできた。
 「何事だ」
 「仙台の軍勢が、皆城外へ出ようとしております!」
 「な、なんと!?」
 ………
 そのとき、城外では、仙台軍の指揮官である坂英力と、密かに進軍してきた会津軍の指揮官、神尾鈴之助とが面会していた。
 「手筈通りですな、坂殿」
 「うむ、我が軍は全て無事城外に退出いたし申した」
 士官服の神尾に対し、鎧を着た坂がニヤリとする。
 「もちろん、我が軍勢が守備していた門のかんぬきは破壊しておき申したぞ」
 「それはありがたい。しかし、他の諸家はおとなしく降伏しそうですかな」
 「さて、連中も総督府は恐ろしいですからな。抵抗する軍もあるかもしれませんぞ」
 坂は今まで自分たちが守っていた城の方を見た。
 「とはいえ、我が伊達家の軍勢がいなくなれば、守備隊など居ないも同然。抵抗してきても、昼前には陥落するでしょう」
 「ええ、そうですな。 …だが、できれば無駄には戦いたくないものだ」
 神尾が、堅牢な白河城の天守を眺め、いとおしそうに呟いた。
 その時、数発の銃声が城の方で響いた。
 だが、神尾は別段表情に変化を見せることなく、後ろを振り返る。
 「朱雀三番隊、城門への攻撃を開始いたしました!」
 「あいわかった。武運を祈る」
 振り返った視線の先に控えていた伝令より、報告を受けた。
 さっきまで伊達家の軍勢が守っていた門より白河城に突入した会津勢は、既に内部の方まで進んでいるようだ。
 銃声が散発的にしか聞こえてこないところを見ると、他の諸藩もほとんど抵抗をしていないようである。
 神尾は少し安堵した。
 「神尾様」
 「どうした、国之崎」
 伝令とは反対側、神尾の左後ろで控えていた国之崎が、神尾の方へ歩み寄りつつ、声をかける。
 今日の国之崎は、会津の洋式兵たちと同じ仏式歩兵服を着込んでいる。
 「城内の軍勢には、引き続き城を守らせるのでありますか?」
 「うむ、その予定だ」
 「差し出がましいことを申し上げますが、彼らをあまり信用なさらない方がよろしいかと」
 「ふむ?」
 「西軍が攻めてくれば、またどちらに転ぶかもわからぬ連中でございまする。万が一、篭城中に背後から斬られるようなことになれば…」
 「国之崎が心配なのは分かる。だが、今は東北諸藩が結束せねばならぬときだ。敵は既に江戸を征圧しておる。彼らを信用せねば、勝てる戦も勝てぬことになる」
 進言する国之崎を、神尾は諭した。
 「我が方の兵力も不足していることは分かりますが…」
 「やむを得ぬことだ。今はこの白河城を制圧して拠点を作ることが先決なのだ、分かってくれ」
 「神尾様がそう仰るならば…。されど、ご油断なされますな」
 神尾は、国之崎の目を見て、微笑を浮かべながら頷いた。

 散発的ではない、集中的な銃声が響き渡った。
 「い、いかん、敵だ!」
 沼田藩の足軽組頭が、狼狽した声を上げた。
 「ぐわぁぁぁ!!」
 火縄銃を持って反撃しようとした足軽たちが、バタバタと倒されていく。
 「敵は少数であるぞ! ひるむな!」
 「無理です! 罠が邪魔で、前進できません!」
 「むむむ…くそっ!」
 閏四月二十一日、三国峠を越えて越後に侵攻しようとしてきた上州連合軍は、わずかな会津の守備隊を前に苦戦していた。
 数で劣る会津軍は、上州側から三国峠へと登る途中にある大般若坂に、びっしりと罠を仕掛けていた。
 釘を打ち付けた板を地面に仕掛けた簡易対人地雷とでも言うべき罠や、軍勢の前進を遅らせる為に仕掛けた逆茂木(古代から用いられている、木を打ち込んで作られたバリケード)により、上州軍の先鋒は、罠の撤去にかなり手間取っていた。
 このときも、逆茂木を撤去する作業を始めようとしたときに、林の陰等に伏せていた会津軍の銃兵に一斉射撃を受けたのである。
 地の利を得て、坂の上の物陰から一斉射撃をしてくる会津軍に対し、上州軍は逆茂木で前進を阻まれた状態で反撃をしなければならない羽目になっている。
 だが、ただでさえ数の少ない会津軍である。
 しかもその中で、ゲベール銃で武装した正規部隊と修験隊の兵だけを束ね、町野源之助は自ら銃を手にとって戦っていた。
 「撃ち続けろ! 敵兵を一人も逆茂木よりこちらに近づけるな!」
 上州軍からの火縄銃弾は一発も命中した様子がない。
 上州の鉄砲足軽たちは、そのことに気づくにつれ、続々と浮き足立ち始めた。
 「ま、待て! 逃げるな! 当家の顔に泥を塗る気か!」
 「他家の部隊も潰走しております! 我らも退きましょう!」
 「く、くそ…あの程度の部隊だぞ…あの程度の数の…」
 最前線に居た沼田藩の部隊は、名誉のために是が非でも踏みとどまろうとしたが、それで言うことを聞く足軽たちではなかった。
 前線を預かる組頭も、身体を低くして逃げ去っていく。
 足軽たちと共に後退していく沼田藩の旗を見て、町野源之助は右手を挙げた。
 「射撃止めよ!」
 木々の中に、ゲベール銃から発せられた硝煙の匂いが立ち込めている。
 町野の合図と同時に、兵たちは銃を上向きに抱え直した。
 「皆の者、よくやってくれた! 皆の活躍で、西軍との緒戦は当家が大勝利であるぞ!」
 「おお!」
 「上州の負け犬どもに、我らの声を聞かせてやれ!」
 「おお!!」
 会津兵たちは、一様に笑みを浮かべつつ、銃を捧げた。
 「エイ、エイ、オー!!!」
 「エイ、エイ、オー!!!」
 (これでもう…後には退けぬな)
 勝鬨の声を挙げつつも、町野は一人笑っていなかった。
 この、戦略的には取るに足らないであろう、小規模戦闘の報せは、直ちに北越鎮撫総督の耳にも入る。
 緒戦の快勝を喜ぶ勝鬨は、悲劇的な北越戦争の幕開けを示す叫び声でもあったのである。


 また日が改まる。
 その事実は、いつ何時も変わらない。
 たとえどのようなことが未来に待っていようとも、それは常に一定の速さで近づいている。
 その未来が予期していないものであれば、尚更そう感じるのだろう。
 「聞いてのとおり、当家は白河城を当家の手勢で制圧した。最早、西軍との戦争は避けられない」
 「………」
 城の外から聞こえてくる音も、昨日までとなんら変わる事はない。
 「相沢、そなたの雪兎隊は今まで予備隊としてきたが、これより白河城で指揮を取る神尾の直接指揮下につけることといたす」
 「しかし御家老」
 「これからの戦は、生半可なものではない。洋式調練を受けてきたそなたらを、遊ばせておくわけにはいかぬのだ」
 「しかし…我々の隊の構成はまだ若輩の者ばかり。それに女性も…」
 「それはわかっておる。軍議でも、それは承知しておった」
 城から見下ろす街の様子も、またいつも通りの風景を保っている。
 「相沢よ、我らは武士だ」
 「はい」
 「会津若松の町を見よ。当家の兵の血が越後で流れていようと、民百姓の生活は変わるものではない。また、変えさせてはならない」
 「はい」
 「それが、武士の仕事だ」
 「民百姓の生活を守るのが、我らの仕事であることはわかっております。しかし…」
 「相沢、もし西軍が会津若松に迫るような事態になれば、どうなる」
 「………」
 「町の女子供、年寄りもただでは済むまい。もし敵が道をわきまえない輩であれば、さらに恐ろしいことになる」
 「…はい」
 「我らは、会津侍の誇りのみならず、奥羽の誇りをかけて、西軍との戦に臨む。それには…」
 「わかりました」
 瓦にとまっていた雀が、飛び立った。
 「雪兎隊は、奥羽の誇りを賭けて、戦に臨みます」
 「そうか、頼んだぞ」
 「はい」
 「正規の部隊となった以上、我らもそれなりの処遇はいたす。とりあえず、大砲方の三木のもとに行き、武器を受領してくるがよい」
 「ありがとうございます」
 「…よいか、相沢」
 「はい、何でありますか」
 「どのような状況になろうとも、決して死に急ぐでないぞ」
 「はっ!」

 「…ほう、白河城を会津がとりましたか」
 「城を守っていた伊達家の軍勢が最初から会津と通じていたようです」
 「これは、いよいよということですかな」
 大鳥圭介が、うなずきながら会津からの書状を見た。
 大鳥・土方の江戸脱走組は、日光に居た。
 途中で他部隊と合流し、さらに大軍となった江戸脱走組は宇都宮城を落とすなど、快進撃を続けていた。
 しかし日光では、薩摩の伊地知正治が率いてきた部隊に手こずり、負けることも度々であった。
 伊地知の部隊は少数ではあったが、精鋭ぞろいである。
 薩長の部隊に加え、禁門の変で長州勢を悩ませた大垣藩の洋式部隊も含んでいる。
 新型装備をしている幕府歩兵の部隊でも、決して有利に戦える相手ではない。
 「そろそろ、我らも動きますかな、土方殿」
 「そうですな、これ以上日光を守っていても、負けるだけでしょう」
 「では、すぐに手筈を…」
 ………
 「え、明日ここから移動するんですか?」
 「そのようだ。副長から聞いたところによれば、白河の方へいくらしい」
 斎藤一が白河行きを知らせに来たとき、佐祐理さんと舞は、宿営していた寺の一室で現地の人からもらった餅を食べていた。
 「また随分急な話ですねー」
 「何しろ、会津が城を落としたのがつい先日のことらしいからな」
 「とにかく、急いで荷物をまとめないといけませんね」
 「そういうことだ、じゃ、頼むぜ」
 「はい」
 斎藤が去ると、佐祐理さんが黙々と餅を食べていた舞の方へ振り返った。
 「ほら、舞も急いで荷物をまとめないと」
 「…私は、いつもまとめてあるから」
 そういって、自分の荷物を指差す。
 「舞は用意がいいねー」
 用意がいいだけでなく、舞の荷物自体がとても簡素ということもあるのだが。
 「また会津の人たちと戦えるね」
 舞がうなずく。
 そして、佐祐理さんの方に顔を向けた。
 「…佐祐理は、いいの?」
 「え?」
 「白河には…きっと…」
 「…大丈夫、佐祐理は誰である前に、新撰組の佐祐理だから」
 佐祐理さんが立ち上がる。
 「それは舞と一緒でしょ? それより、白河に行く前に、日光の人たちに挨拶していかないとね」
 「………(コクリ)」
 餅を口に収め、傍らの刀を掴み、舞も立ち上がる。
 慶応という消え行く年の中、意地のため、誇りのために戦う者は、白河へと集まっていく。
 その中身は、それぞれに違う。
 ある者は故郷を守るため、ある者は自らの信じる物を守り抜くため、ある者は己の意地のため、彼らは進んで死地へ向かう。
 当時の人々の内、どれだけの人が時勢に流されるのを潔しとしなかったのだろう。
 我々は、改めてその人々の覚悟に敬意を払わなければならない。

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