第三話「穏やかな日」

だっ、だっ、だっ、だっ、だっ・・・
・・・・・・・・・
だっ、だっ、だっ、だっ、だっ・・・
「・・・・・・・・・」
だっ、だっ、だっ、だっ、だっ・・・
 「お母さん、帯が無いよ〜。」
「・・・・・・・・・」
 「あ、もう、行かないと。 お母さん、この前買った帯知らない?」
「・・・・・・・・・騒がしいな。」
祐一郎は暁の光に促されながら、目を開いた。
「・・・・・・・・・あれ?」
見慣れない天井。
「・・・ここ、どこだ?」
間抜け面のまま、上体を起こす。
右側からは明るい朝日が・・・
「・・・って、随分日が高い気がするぞ。」
それに気づけば、重い体も言うことを聞いてくれた。
「・・・ああ、思い出した。」
祐一郎はやっと昨日のことを思い出した。
祐一郎は結局、母の妹の嫁ぎ先、つまり叔父の屋敷に厄介になることとなった。
・・・だが、その叔父は既に亡い。
伏見からの急報で、薩長の砲弾に斃死したと聞いている。
昨夜、叔母の秋子さんにそれを伝えたが、思ったほどの動揺はなかった。
どうやら自分たちが来る前から概要は聞いていたようだということに気づくと、祐一郎はすぐにその話題をやめた。
従って、昨夜は江戸でのよもやま話に終始することとなった。
秋子さんの一人娘である名雪と祐一郎とは、幼い頃ここに住んでいたときからの付き合いだ。
その姿は祐一郎の記憶にある姿とは全く違っていたが、
昨日出会った瞬間から、この少女がいとこの少女であることに気づくことができた。
雰囲気が似ていた、とでも言えばいいのだろうか。
とにかくそういう感じだった。
「あ、祐一郎、おはよう。」
突然、襖を開いてその少女が現れた。
「・・・・・・・・・」
祐一郎の方はまだ眠りから覚めきってはいないようだ。
「祐一郎、朝の挨拶はお早うございますだよ。」
「・・・・・・ああ、お早う。」
とりあえず、挨拶する。
「・・・て、いきなり襖を開けて入ってくるか? 普通。」
「時間がないんだよ。」
「それは俺の責任じゃない・・・と、思うぞ。まだ何も聞いていないが。」
先手を打って自己弁護しておく。
「私の帯、知らない?」
「・・・帯?」
「うん、この前買った帯。」
「いや・・・そんなこの前のことは知らないって。俺はまだ一日しかここにいないんだぞ。」
どうも名雪の行動を見ていると、祐一郎は自分がもう何年もここにいるような錯覚に陥る。
それは昨夜も同じだった。
「でも、昨日も着けていたよ。」
「昨日も着けていたってことは、あの変な帯のことか。」
「変じゃないよ〜。」
「いや、あんな怪しげな猫が描かれたような帯は、珍品の部類に入るぞ。」
「怪しくないよ!」
名雪が(祐一郎から見て)力強く抗議する。
「そんなことより、時間はいいのか?」
「あ・・・えと、それでその帯は知らないの?」
「そんなこと知るわけ・・・あ、そういえば、昨日寝ぼけながら廊下を徘徊していただろ。その時じゃないか?」
「徘徊していたって・・・あ。」
名雪は何かを思いだしたようで、さっと立ち上がると慌ただしく自分の部屋へ戻っていった。
「・・・朝から騒がしい屋敷だな。」
それは間違いである。
「あ! あったよ〜。」
そして、嬉しそうな名雪の声がした。

衣服を着替え、この屋敷の中心部へと向かう。
目指すは朝の冷や飯だ。
「おはようございます。」
部屋への途中、玄関で会った祐一郎を秋子さんは暖かい声で迎えた。
「おはようございます、名雪はどうしたんですか?」
「名雪は藩校に行くんですよ。」
「藩校・・・」
いわゆる日新館のことである。
藩士子弟を対象とした、朱子学、漢学を中心に教える藩校だ。
会津、白河両藩が北方の警備を仰せつかった頃から純軍事的な講義もあるという。
そこに名雪が駆け込んでくる。
「あら、まだいたの?」
「お母さん、私の朝ご飯は?」
「え? まだ、食べてなかったのか?」
「祐一郎に言われたくないよ。」
確かに。もう、とっくに朝飯時は過ぎている。
「もうちょっと、早く起きられたらね。」
「うー。」
「そんなことより、時間はいいのか?」
「あ・・・い、いってきま〜す。」
名雪はお腹を押さえながら、玄関から飛び出していった。
「・・・忙しい奴だな。」
一人、祐一郎は呟いた。
「名雪、朝、弱いんですか?」
「明日から、祐一郎さんも大変ですね・・・」
頬に手を当てながら、秋子さんが呟いた。
「え・・・?」
とっさに祐一郎は振り返ったが、秋子さんはそのまますたすたと部屋へ戻っていってしまった。
ここにいても仕方がないので、祐一郎もその後を追う。
それとほぼ同時に、鐘をつく音がした。
(・・・名雪の奴、絶対に遅れたな。)
彼は心の中で合掌してやることにした。
・・・・・・・・・
目の前に膳を出してくれた秋子さんに、祐一郎は一つ尋ねた。
「さっき、明日から俺が大変だというようなこといいませんでした?」
「ええ、言ったかもしれないわね。」
「・・・あれ、どういうことですか?」
「朝方、お城の方から使いがお見えになったんですよ。」
秋子さんはそういいながら、文箱の中から書状を取り出す。
「これは・・・?」
「御家老様からの書状ですよ。」
「中を見てもいいですか?」
「ええ、どうぞ。」
祐一郎はその簡潔な文面に目を通した。
 「水瀬忠兵衛殿が御息女、名雪殿
  砲術調練場に、明日より参られよ
    松平家家老  石橋釆女祐 (花押)」
「・・・って、簡潔すぎますよ!」
一瞬で通しきってしまった祐一郎は思わず叫んだ。
「私に言われても困りますよ。」
秋子さんは再び頬に手を当てた。
「これじゃあ、何をするのかさっぱり判らないじゃないですか。」
「そうですよね。私も困りました。」
「ひょっとして、藩校の方から何か言われているのか・・・?」
そうだとしたら特別問題にはならないだろうが、それなら筆頭家老がわざわざ筆を執って書く文章ではあるまい。
それにしても自分の筆頭家老がここまで淡泊な人だとは、夢にも思っていなかっただろう。
まあ、祐一郎にとって今問題なのは、文章が言うところの内容である。
「・・・でも、秋子さんは何が言いたいのか大体わかったんじゃないですか?」
「?」
「だって、さっき俺に向かって・・・」
「ああ、そういうことですか。」
秋子さんはニッコリ微笑んで続けた。
「祐一郎さんも、明日はお出かけになられるのですよね?」
確かにその通りである。
祐一郎だけではない、大砲方を中心に、会津藩御領内に反射炉を建設しようと言う計画が出ていた。
そのため、江戸詰から帰ってきた今回の面々で、とりあえず建設の布石をしておくように江戸家老の遠野様から言われている。
大砲奉行の林様が伏見に行っているので、とりあえず組下の者で建設願いを家老の石橋様に提出して置いた。
・・・と、思ったら、提出したその場で承諾を得ることができたのだ。噂通りおおらかな家老である。
これを聞いた江戸詰の大砲方は、勘定役の神尾の協力を得て炉の建設を決定した、
無論、藩内に異論はない。
帰城早々激論を交わした鉄砲奉行も、新兵器があるに越したことはないので反対するわけがなかった。
・・・そんなこんなで、祐一郎は明日から炉の建設に携わらなければならない。
「そりゃそうですけど、俺は大砲方で建設する炉の現場指揮を・・・」
と、言いかけたところで思い出した。
「そういや・・・炉は新たに作った砲術調練場と隣接しているとか言っていたな・・・」
「ええ、ですから名雪と大体同じ刻限に始まると思ったんです。」
「・・・まさか、名雪を俺に起こさせる気なんですか?」
「助かります。」
「まあ・・・いいですけど。」
母親の秋子さんが言うのであれば、問題なかろう。
居候である以上、多少なりとも助けになるならやっておきたいところでもある。
・・・だが、明らかに祐一郎は名雪を甘く見ていたようだ。
今日の朝をしっかり分析しなかった祐一郎の敗北だ。
もっとも、彼がそれに気づくのは明日の話となるが。
「じゃあ、いただきます。」
何も知らない平和な男は、膳に手を伸ばした。

さて・・・遅い朝飯も終わってしまうと暇である。
炉の縄張りは明日からとなるため、本日中は特にすることがない。
忙しいのは洋式部隊創設を具体化させている上士たちだ。
「荷物の整理でもするとしようか。」
祐一郎はさし当たってすべきことを決めた。
「源助さん、います?」
秋子さんに尋ねる。
源助さんとは水瀬家の小者で、齢50を越えようかというところの男である。
「源助さんなら油を買いに行ってもらいました。」
「そうですか・・・」
「源助さんに何か?」
「いえ、荷物整理でも手伝ってもらおうかと。」
「それでしたら、名雪が昼に帰ってきてからにしたらどうです?」
「いやあ、名雪に頼むわけには・・・」
祐一郎は手を振ってそれを断った。
居候の身分で、家主の娘に荷物整理を手伝わしたなどとしれたら、会津藩士の名折れだ。
・・・もっとも、手伝わせたとしてもさほど効果があるとも思っていなかったようだが。
「自分だけで何とかなりますよ。」
「頑張って下さい。」
秋子さんの声援らしきものに送られ、祐一郎は部屋に戻った。
・・・・・・・・・
「ふぅ・・・ま、こんなものかな。」
祐一郎は額を拭ったが、そこに汗はなかった。
実際、荷物などほとんどなかったし、昨日いい加減に片づけただけで十分な感じだった。
そうなると、また暇だった。
「寝るか・・・」
とも思ったが、眠気などあるはずもない。
「どうするかな・・・ん?」
整理した荷物に目が止まる。
江戸から持ってきた書物だ。洋式兵学に関連する書物を一通り持ってきた。
「そうだな、これを読むとしよう。」
そう言って、その中の一冊を手に取る。
表紙には「洋式銃指南」とある。ミニエー銃、エンフィールド銃を中心に書かれた物だ。
祐一郎は畳の上に寝っころがった。
微かに、懐かしい臭いがした。


若松城下では平穏な光景が繰り広げられていたが、
江戸の会津藩上屋敷は騒動が起きていた。
屋敷の中心部、江戸残留組の藩士たちが並び、先頭に江戸家老の遠野がいる。
その先、上座のところには疲れた表情の男が一人座っている。
「・・・殿、この度のこと、我らに子細話聞かせてくれませぬか。」
江戸家老が藩士を代表して言上した。
「・・・・・・・・・」
男は沈黙したままだ。
この男の名は松平容保、会津藩主であり、京都守護職でもあった男だ。
「殿、なにゆえ・・・何故に藩士をお見捨てになられたのです!」
「・・・・・・すまぬ。」
「我ら、江戸にて再戦せんと、武器弾薬を集めて参りました。然るに、殿が大坂より逃げ帰ったなどと・・・!」
「遠野、皆の者・・・すまぬ、儂は不甲斐ない男であった。」
「不甲斐ないなどと!」
藩士たちの方で声が上がる。
「上様に付き従い、大坂を脱出したときは、何も考えられなかった。」
「殿は・・・それほどまでに、錦旗を恐れ為されますのか。」
「朝敵にはなりたくないものじゃ・・・」
「・・・・・・・・・」
藩士たちも沈黙した。
無理もない、ほんの数ヶ月前まで会津藩は天皇からもっとも信頼されていた藩の一つだった。
禁門の変では朝敵長州を必死の思いで追い返した。
それが今やその朝敵が錦旗を掲げているのだ。
鳥羽・伏見では錦旗が揚がった途端、諸藩の寝返りが加速した。
現老中稲葉正邦様の淀藩、外様ながら譜代扱いという破格の待遇を家康公から受けている藤堂家の津藩、
さらには御三家の尾張、紀伊といったところまでもが続いた。幕府の威信はどこへやらである。
・・・もっとも、大洲藩などは長州が三田尻に上陸したときに既に裏切っていたが。
「朝敵にならないならば、討伐されることもあるまい・・・そう思ったのかもしれぬ。」
主君の言葉に、藩士たちは納得いかないながらもそれ以上言うこともできなかった。
「帝にお許しいただけるのでしょうな?」
遠野が最後の質問をした。
「・・・・・・わからぬ。」
今のところ薩長が軍隊を東進させたという情報はない。
だが、既に尊皇攘夷派の草莽の士たちが、攘夷の先駆けと称して隊を私的に創設する動きがある。
・・・もっとも、それを彼らが知っていたかは謎だが。
新政府にしたって、そろそろ邪魔になり始めている草莽の士たちが勝手に動いている、という認識程度だったかもしれない。
「我ら、薩長があくまで徳川滅亡を望むのであらば、たとえ朝敵となっても一戦交えまする!」
「我も!」
藩士たちが共鳴する。
「・・・皆の気持ち、ようわかった。この容保、次の失態はないものと心得た!」
「おおっ!」
「会津士魂を見せてくれるわ!」
会津藩江戸屋敷は、ここに再び結束しようとしていた。
その藩士たちの頃合いを見て、遠野が一声上げた。
「そうとなれば皆の者、国許で手ぐすね引いている同胞たちのために、できる限り武器を集めるのじゃ!」
「はっ!」
江戸は固まった。だが、国許の者はまだこのことを知らない。


「ただいまっ!」
玄関の方から声がする。名雪が帰ってきたようだ。
「もう、昼か。」
となると暇を解消する手だてを見つける。
祐一郎は体を起こした。
整然とした(むしろがらんとした)部屋の中で、祐一郎は大きくのびをする。
手にしていた「洋式銃指南」は既に書物の山の中にある。
「でも、その前に腹ごしらえだ。」
まだそれほど時が経っているわけではないが、何となく腹が空いているような気がした。
・・・・・・・・・
昼飯が終わったあと、祐一郎は名雪を呼び止めた。
「何?」
「すまないが、今日中に若松城下を知っておきたい。案内してくれないか?」
「うん、いいよ。」
二つ返事で承諾された。
「・・・じゃあ、早速行こうか?」
「そうしてくれるとありがたい。」
言葉通り、直ちに二人は玄関へと向かった。
「あら、どこか行くの?」
そこに秋子さんが現れた。
「ええ、ちょっと名雪に町を案内してもらおうと思って。」
「じゃあ・・・ちょっと、頼まれて下さるかしら。」
「なんです?」
「源助さんに言い忘れたのですけど・・・蝋燭を買ってきて欲しいのよ。」
「それだったら問題ないよ。」
名雪が答える。
「そう? じゃあ、お願いしようかしら。」
「じゃあ、いってきま〜す。」
「・・・て、名雪、銭は持っているのか?」
「あ、忘れていたよ。」
「じゃあ、これでお願いね。」
「で、どれくらい買ってくればいいんですか?」
それも聞き忘れていた。
「好きなだけ買ってきてくれていいのよ。」
「・・・好きなだけ、ですか。」
「ええ、どうぞ。」
と言われても、それほど大量に買っても嬉しいものではない。
ここの屋敷の人間は、どうしてこうきっちりと物事を決めようとしないのだろうか・・・
まあ、祐一郎本人が結構それを気に入っているのだが。
「じゃあ、程々に買ってきます。」
「欲張ると持ち帰れないからね。」
「そういう問題でもないんだが・・・」
ここの一家は蝋燭問屋か。
「置き場所にも困りますよ。」
「・・・それはもっとあり得ません。」

というわけで、名雪と祐一郎は城下の中でも商店が建ち並ぶ通りにやってきた。
「ここの風景は覚えているの?」
「いや・・・全くと言っていいほど無いな。」
「少しも?」
「少しも。」
名雪は少し残念そうな顔をしたが、
「でも、すぐに思い出すよ。」
と言って、ついでに「努力、だよ」と付け加えた。
「思い出さなくても問題ないと思うが・・・」
「そんなことないよ。」
そうこう言っているうちに、一軒の蝋燭屋についた。
「すぐに買ってくるから、待ってて。」
「おう。」
「勝手に何処かに行ったりしないでね。」
「どこへも行かないって。」
念を押しているのかどうかも判らない台詞を残して、名雪は蝋燭屋に入っていった。
手持ち無沙汰の祐一郎は、その間町中の様子に目を向けた。
忙しそうに歩く町人たち、寒い中、高いところで懸命に金槌を振るう大工、
旦那様の御用で使いに行く小僧、道ばたで金物を修繕する金物職人、
荷車に野菜を満載している商人、声を張り上げて塩を売る棒手振り、
デンデコと太鼓を鳴らしながら歩く飴売り、十手を腰に下げながら、背中に銃を背負って走る役人、
それにしても名雪は遅いな・・・
そういえば・・・昔から要領悪かったような気がするな・・・
・・・って、銃を背負って走る役人が居るか!
祐一郎は我に返って我が目を凝らした。
確かに向こうから銃を背負って走ってくる役人姿の女性が一人。
背中に見え隠れしているのは・・・明らかに銃だ。
「うぐぅ、どいて〜。」
(それにしても小柄な役人だな。)
祐一郎は呆然と眺めている。
「どいて〜。」
(捕り物の途中か?)
「あ! そこのお侍さん、どいてっ!」
「・・・え?」
再び我に返った祐一郎に、役人が銃を背負ったまま突っ込んでくる。
ドンッ!
「うわ!」
・・・と叫んではみたが、祐一郎は全くと言っていいほど飛ばされていない。
代わりに、役人少女が鼻を押さえて涙目になっている。
「うぐぅ、鼻が痛いよ〜。」
「悪い、悪い、あまりに疾風迅雷の捕り物で、見入ってしまっていた。」
「ひどいよ〜。どいてって言ったのに・・・」
小柄な役人少女が祐一郎を非難する。
「そんなこと言っていたか?」
「言ったよ!」
「悪い、悪い、あまりに道が混雑していたので気づかなかった。」
「さっきと言っていることが正反対だよ!」
そもそも真っ昼間のこの大通りはさほど混む方ではない。
「・・・で、なんで走っていたんだ?」
「え・・・? あ! は、話は後!」
「え、おい、ちょっと!」
唐突に役人は祐一郎の腕をつかむと、再び目にも止まらぬ速さ(希望)で道を走っていく。
「なんで俺まで走らなくちゃならないんだよ!」
「乗りかかった船だよ!」
「普通、それは俺が言う台詞だ!」
「じゃあ、キミが言うんだよ!」
「言ってたまるか!」
・・・残念ながら、要領悪くて庶民にも目の止まる速さになってしまっているようだが。
目の前を走る役人少女の背中にある銃が、やけに印象的だった。・・・当然といえば当然だが。
どれくらい走っただろうか、役人側の息が切れ、近くの稲荷に身を潜めた。
「はぁ・・・、どういうつもりだよ・・・」
今度は逆に非難に満ちた視線を祐一郎は送る。
送られた側の役人は困ったような表情で呟いた。
「・・・捕り物なんだよ。」
「捕り物って・・・だったら、こんなところで休んでいていいのか?」
「いいんだよ、すぐに通るわけじゃないし。」
「さっきはあんなに走っていたのにな・・・」
とりあえず一息ついたが、既に自分が居る位置すら判らなくなっていた。
一瞬、祐一郎は不安に駆られたが、それよりも捕り物の内容が気になるのが少年らしさだ。
「で、逃げているのはどんな悪党だ?」
「え!? そ、それは御用の筋だから言えないよ!」
「俺だって歴とした藩士だぞ。問題ないだろ?」
「お、お裁きに関わることは、いくら藩士の方でも教えられないよ!」
いわゆる三権分立って奴だ。
だが、田舎の会津藩士がそんな気の利いた知識を知っているはずもなかった。
無論、役人の方もそんなことを知っていて言ったわけではあるまい。
祐一郎にしてみれば、ここまで巻き込まれて今さら言えないとは冗談じゃないというところだ。
「・・・ひょっとして、その手の中の物と関係あるのか?」
そう言いながら、祐一郎は役人の手を指さした。
そこには紙でできているものの一部が見える。
「え!? こ、これは、ぜ、全然関係ないよ!」
さっきから何がどうなっているのか判らないが、とりあえず、分かりやすいお役人だとは判った。
「・・・けど、そんな物を手に持って捕り物ってのは難しいと思うぞ。」
「玄人なんだよ。」
「玄人・・・・・・」
失礼ながら、全然そんな風には見えなかった。
これはどう見ても・・・いや、上手い表現が見つからない。
「なあ、さっきから気になっているんだが・・・」
と、祐一郎が言いかけたところで誰かの声がした。
「あ! い、行かなくちゃ!」
「なんで俺まで参加しなくちゃ・・・って、そもそも声はあっちからしたぞ!」
祐一郎は反対側を指さす。
「先回りするんだよ!」
祐一郎はさらに問いただす間も無く、再び走らされる羽目となった。
「はぁ・・・どこまで連れてかれるんだろうな・・・ひょっとして、長崎辺りで売り飛ばされるんじゃ・・・」
「ボクは役人だよ! そもそもその台詞は女の子が言う台詞だよ!」
「じゃあ、お前が言え。」
「言わないよ!」
歩調も会話も合わないまま、二人は駆けていく。
(もし言われたら俺が売り飛ばすことになっちまうしな・・・)
祐一郎は内心納得した。
・・・・・・・・・
「はぁ・・・もう・・・絶対に・・・走らないからな・・・」
さすがの祐一郎も息が切れたようで、二人は小径の真ん中で立ち止まった。
「なあ、そろそろ俺の置かれている状況を教えてくれよ・・・」
「・・・捕り物なんだよ。」
「それじゃあ、答えになってないだろ。」
「関係ない人を巻き込みたく・・・あ!」
突然慌てだした役人は、辺りをキョロキョロ見回している。
「・・・何やってんだ?」
「か、隠れなきゃ!」
「・・・なんで捕り方が隠れなきゃいけないんだよ。」
「待ち伏せするんだよ!」
たしかにさっきもそんな感じのことは言っていたが・・・
(俺まで隠れる必要はあるまい。)
祐一郎はそう判断して、小径の真ん中に仁王立ちした。
「キミ、目立っちゃうよ!」
役人はお稲荷さんの陰から呼びかけているが、これ以上役人に付き合っていると何をされるか分からなかった。
・・・と、向こうから誰かが駆けてくる。
「・・・あれ?」
どう見ても商人、しかも、見覚えがある。
駆けてきた商人は頭を掻きながら辺りを見回している。
その呼吸の乱れ具合、可哀想になるくらいである。
「・・・ひょっとして、鯛野屋ではないか?」
「え・・・あ! 相沢様!」
「やはりそうか。」
江戸商人の鯛野屋だ。お城に御用の品を納めたと昨日城内で聞いている。
当然、江戸詰の祐一郎とも多少は知り合った関係である。
「聞いて下さい、相沢様! 城下のお役人様に、商品を持ってかれたのでございますよ!」
「・・・・・・・・・」
ちらりとお稲荷さんのほうを見る。
見られたほうは必死に隠れているようだが、銃口が高々と上に突き出ている。
「実は、先日もお城にお納めする洋式銃を一丁盗まれまして・・・」
それを聞いて、祐一郎はさらに確信した。
「ふてぶてしいことに、その盗品である銃を堂々と背負ってまた・・・」
「ああ、分かった、分かった。悪いようにはしないから安心しろ。」
「よろしくお願いいたします。」
すっかり疲れ切った鯛野屋は、ふらふらと戻っていこうとした。
「ああ・・・ちょっと、」
「はい?」
「・・・念のために聞いておくが、その役人の名は?」
「町奉行所の同心、月宮様でございます。」
「・・・まあ、盗られたって言っても、ゲベール銃だろう? そんなもの一挺盗まれたくらい、藩にはどうってことはない。」
「・・・蘭書は惜しいですけどね。」
さほど慰められていそうにない鯛野屋は再び向こうを向き、寂しそうに去っていった。
「・・・・・・・・・」
「うぐぅ、怖かったよ〜。」
「・・・捕り物じゃなかったのか?」
「え!? こ、これからなんだよ!」
限界がありありと見えている。
「・・・一つ聞いておきたい。お前の名前は?」
「ボクの名前? ボクは月宮あゆだよ。」
「・・・・・・・・・」
「あ、ちなみに町奉行所の同心なんだよ。」
さらに確信が増した。
「捕り物って言うのは・・・お前が追いかけられていたのか?」
「あ・・・う、ううん!」
首を横に振るが、既に汗がにじんでいる。・・・いや、これは走って出てきたものだろう。
「鯛野屋から既に事情は聞いたぞ。一方的にお前が悪いんじゃないか!」
祐一郎に一気に詰め寄られ、あゆは逆に追いつめられた。
「うぐぅ、あれは仕方がなかったんだよ〜。」
「どう、仕方がなかったんだ?」
「話すと長くなるんだけど・・・」
「構わないぞ。」
「複雑な話なんだけど・・・」
「大丈夫だ。」
「とっても珍しかったんだよ〜。」
「・・・・・・それだけか?」
「それだけ。」
「・・・・・・・・・て、それだけで役人が白昼堂々と御用の品を盗むな!」
「うぐぅ。」
「しかも、盗んだ商品を堂々と背負って同じ商人を狙うとは・・・お前、ひょっとして挑戦者だろ。」
「違うよ! たまたまだよ!」
「何がどうたまたまなんだ!」
「それは・・・うぐぅ、後で銭は払うよ〜。」
涙目のあゆをみていると、さすがに祐一郎にも一片の情が沸いた。
「・・・まあ、後で払うならいいけどな。」
「本当?」
「・・・俺は役人じゃないし。」
「大丈夫、僕はいい役人を目指しているから。」
「いい役人は盗みなど働かないぞ。」
「うぐぅ・・・」
と、一段落ついたところで祐一郎はさっきから気になっている疑問を口にした。
「なあ、結局その背中の銃はなんなんだよ。」
わざわざ御用の商品から盗む理由も分からない。
「銃?」
「その背中に背負っている奴だ。」
「背中・・・」
そう言いながら、あゆは後ろに顔を向ける。
「あ、あったよ〜。」
何故か幸せそうなあゆ。
「可愛いゲベール銃〜。」
可愛い?
「・・・・・・・・・」
(さっきからそうじゃないかとは思っていたんだが・・・・・・こいつは変な役人だ。間違いない。)
祐一郎はもう一つ確信することができた。
「なんでまたそんなものを・・・」
「流行ってるんだよ。」
「妙なものが流行ってるんだな・・・」
おまけに時代遅れの銃だ。
祐一郎はそのゲベール銃に触れてみる。
綺麗に手入れされた銃である。これなら新品といっても差し支え無さそうなほどだ。
どうやら、布で銃を背負う帯を作ってあるようだ。こちらの仕上げはいい加減そうだが、羽織の下でよく見えない。
「でもよ・・・ゲベール銃なんか持っていても何にもならねえぞ。」
「え? そうなの?」
「ミニエー銃はないのか?」
だがあゆは笑顔で、
「みにえーって何?」
と言う。
「・・・本気でいっているのか?」
会津では洋物好きの間ですら知られていないのだろうか・・・
・・・あゆが果たして洋物好きかどうかも謎だが。
まあ、「何にもならない」というのは言い過ぎだろう。
「ミニエー銃っていうのはだな・・・」
ミニエー銃、フランスの歩兵大尉ミニエーが1846年に考案した前装式ライフル銃だ。
そのもっとも大きな特徴は、椎の実型の弾と銃身の内側にある。
弾の底部にくぼみがあり、ここに木栓を詰めて装填する。
発射されると、発射時のガス圧で、木栓が詰まった底部が広げられる。
すると、弾は銃身にぶつかる。
ここからが最大の技巧だ。
そこには螺旋状に溝が刻んである。いわゆるライフリングというものだ。
この溝に食い込んだ弾は回転を与えられて銃口から飛び出す。
回転する尖頭弾は、球形弾を発射するゲベール銃よりも長い射程を飛び、同時に高い命中率を誇る。
いわゆるジャイロ効果というもので、ライフルの基礎を為す物である。
この日本に輸入された前装式ライフル銃には、
薩摩が多く売ってもらっているイギリス軍のエンフィールド、ウイットオース、
アメリカのモーリー、ホイットニー、スプリングフィールド、スイスのマンソーなどがある。
実に多種多様の洋式銃が輸入されているが、後世の記録によれば日本に幕末で輸入された銃の数は、
なんと十八万挺と言われる。輸入速度のすさまじさが分かるというものだ。・・・もっとも、その中には廃銃同然の物も含まれるが。
とにかくミニエー銃はゲベール銃の比ではない。
「あ、そうなんだ。少し勉強になったよっ!」
「とにかく、ゲベール銃じゃあ不足だな。」
そんな祐一郎の言葉に、あゆの目が輝いた。
「ボクは洋式の兵学を勉強しているんだよ。」
「そうなのか? 実は俺も松平家の大砲方勤めなんだ。」
「え、そうなの? ・・・あ、そういえば名前をまだ聞いていなかったね。」
「俺か? 俺は、相沢祐一郎だ。」
「・・・相沢・・・祐一郎、君?」
「・・・・・・どうした?」
突然あゆの様子がおかしくなった。
なにやら俺の名前を口の中で反芻している。
「ひょっとして・・・祐一郎君?」
「・・・・・・?」
俺があゆの質問を解しかねていると、
「あ! な、なんでもないよっ!」
泣き笑いのような表情でそれを遮る。
「じゃ、じゃあ、ボクはそろそろ行くよっ!」
「そうか。」
あゆは背中の銃を揺らしながら、雪の町を駆けていく。
「ボクが必要ならいつでも呼んでいいよ!」
「え・・・!?」
「また会おうねっ!」
(どういうことだ・・・?)
祐一郎は去り際の言葉を一瞬理解できなかったが、
(ああ・・・そういうことか。)
ここで手の平を打つ。
大砲方勤めということを聞き、役に立とうとでも思ったのだろう。
祐一郎は、まさか、そんなことがあるわけがない、と、口の中で呟いたが、
(そうか・・・そういう手もあるか・・・)
祐一郎は心の何処かで頷きもしていた。何に頷いているのかは分からない。
あゆの後ろ姿が見えなくなると、祐一郎は記憶をたどりに元来た(と思われる)道を歩きだした。
・・・・・・・・・
一刻ほど経っているのだろうか。何の時から経っているのか。
そう、蝋燭屋に着いてからだ。
「・・・って、名雪っ!」
祐一郎は駆け出しかけたが、後の祭りだ。
「・・・うそつき。」
案の定、名雪が雪道で拗ねていた。

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