第七話「勝の陰謀、薩摩の陰謀」

さて、会津で祐一郎たちが調練に励み、出自不明の少女が祐一郎を気鬱させていた頃、
江戸の方ではめまぐるしく人々が動いていた。
それなりの生活を持つ町人は戦乱から避難しようと江戸を離れ、野心溢れる農民は歩兵徴募に参集し、
幕軍将校たちは防備固めに苦心し、恭順派の面々は事態打開に苦心していた。
無気力な旗本はひたすら目立たないように務め、苦心をしていることはしていた。
だが、一方ではこれのどれにも属さない動きがあった。
例えば、彼ら「新選組」である。
彼らは浪士隊である。従って正式な幕臣ではない。それも洋式部隊ではない。
刀で生き抜き、名を上げてきた、身分有る者から見れば怪しげな剣客集団である。
・・・だが、実際の所、幕末に幕府のためにと奮闘してきたのは、
正式な武士よりも、勝手に武士を名乗っている偽武士が多い。
彼らは武士という身分に憧れ、幕府の下に馳せ参じているのだ。
だが、幕府から恩恵どころか迫害されてきたような浪人は勤皇派が大半である。
新選組は数少ない佐幕派浪士の集団なのだ。
もっとも、土方も近藤も本来は武士ではないので、どちらかというと前者の方だろうか。
まあ、そんなことはどうでもよい。
とにかく、彼ら新選組は幕軍の中で肌色の違う集団ではあったが、幕府に忠実に戦っていくのである。
この辺りのことは「新選組顛末記」に詳しい。
この稿は少々話が堅くなるが、当時の事情を知る上で是非とも知っておいてもらいたい情勢なので、
退屈だろうが少々お付き合い願いたい。
まあ、そこまで深くは歴史小説として読まないのであれば、読み飛ばされても結構だ。
さて、それでは関東や京・大坂の地では何が起こっていたのだろうか。


一月二十日のことである。
品川で暫しの休息を得た新選組一行は、入府することとなった。
新たな屯所は譜代大名鳥居家の上屋敷である。
負傷者は横浜の外人病院に後送されており、総員四十名余りしかいない。
一行が江戸に入ったわけは、江戸城から登城命令がでているためである。
先ほど幕臣ではないと書いたが、先述したとおり、新選組幹部は大御番組の地位を得ている。
従って制度上は立派な大身の旗本である。
そうなれば、毎日のように登城することになるというわけだ。
いわゆる「武士」に憧れていた局長近藤は、喜々として武士の仕事に励んでいる。
歳三はそんな近藤を見て、頷いていた。
こうでなくちゃあいけねえ、と・・・
「副長、局長は随分とご機嫌のようですね。」
そう歳三に話しかけてきたのは斉藤一だ。
歳三達は鳥居家の新しい屯所で幾分か平和な日を楽しんでいるのだが、
実際、江戸に帰ってきてからの近藤の回復はめざましいものがある。
この分なら薩長との戦いの時には刀を持てるのではないか。
歳三はそう考えているし、なによりも近藤自身がそう考えている。
ちなみに蛇足ながらに付け加えると、新選組の隊長は局長から総長に変わったのだが、
旧来の幹部たちは局長と呼ぶことの方が多い。
あまり気にしないで結構だ。
「やっぱり、江戸の水が合うんだろうな。」
「私もそう思いますよ。京都は旨い物がいっぱいありましたけど、やっぱり江戸の方が落ち着きますから。」
「そうだな。人間、故郷が一番いいところなのかもしれんな。」
歳三が再び頷く。
それを、後ろで舞が聞いていた。
実際には随分と後方ではあったのだが・・・
「ん? 川澄君か。」
「・・・・・・局長、元気。」
「川澄君もそう思うか。局長は塗り駕籠と裏金の陣笠があれば何でもやってのけるだろうよ。」
そう言って、歳三は珍しく笑った。
塗り駕籠と裏金の陣笠、上級武士の証とも言うべき物だ。
「そういう性分なのさ。近藤さんはよ。」
近藤は、京都時代から歳三他の幹部たちに言っている。
故郷の日野村に大名になって帰って皆を驚かせてやる、と。
幕末は戦国の世、近藤にとっては大名になるのも本気で考えていたことなのだろう。
「故郷に錦を飾ることが一番嬉しいのさ。」
「故郷・・・・・・」
舞の顔が少し強ばる。
歳三はそれには気づかずに話を進める。
「そういやあ、川澄君の国は・・・」
「あ〜、舞、ここにいたんだぁ〜。」
そう言いながら、佐祐理さんが駆けて来る。
「倉田君か、皆の様子はどうだった?」
「皆さん、随分と元気なんですよ〜。原田さんなんて、お酒を二升飲み干して大いびきをかいてます。」
原田さんとは、十番隊組長の原田左之助のことで、近藤、土方とは武州以来の同志である。
元は中間だったとかで、大酒飲みで大飯喰らいという男である。
「左之助は少々やりすぎだとは思うが・・・」
これは斉藤の弁だ。
「しかし、一番元気がいいのは倉田君ではないか?」
「あははーっ、皆さんにはかないませんよーっ。」
「はは・・・かなっても誉められたことじゃあないがな。」
歳三が機嫌良く笑う。
やはりこの鬼土方も、佐祐理さんの前には気が緩むものなのだろう。
「・・・・・・永倉さんは?」
舞がなにやら唐突に言う。
「え? 永倉さんは見てないけど・・・」
「・・・そう。」
「新八がどうかしたのか?」
「・・・・・・見ないから。」
「んん? そういや、昼間はいつも出かけているよな・・・」
「・・・永倉君は、江戸に知り合いが多いからな。」
歳三はそう言ったが、決して顔は晴れやかではなくなっている。
というのも、江戸に帰ってから、永倉があまり屯所に居着かなくなっている。
久しぶりの再会が多いのだろうから、あまり心配することではないと思っているのだが・・・。
実を言うと、江戸に帰ってきた段階で新選組は形式的には消滅しているのである。
隊士の中には近藤の尊大な態度が気に入らないという者も少なくはないのだ。
歳三が気がかりなのはこの辺りの点である。
(仕方ないさ、こう落ち目になればな・・・)
歳三からすれば、隊の勢いを取り戻せば自ずと結束も固まるというものなのだ。
だが、そういう中でも、この面々は歳三や近藤に従っていてくれる。
そうである限り、新選組は滅びはしない。
今度は心の中で歳三が頷いたとき、面々の一人のことを思いだした。
「よし・・・総司の見舞いにでも行くか。」
「あ、佐祐理は賛成です。みんなで行きましょう。」
「総司の奴、退屈しているだろうに。」
「良順先生は絶対安静と言っていたからな・・・」
「言われて聞くような男じゃないでしょうよ。」
「ちげえねえ。もっとも、それは俺たちでも一緒だがね。」
「・・・・・・・・・」
「あははーっ、こんなこともあろうかと、獣肉を買ってあるんですよーっ。」
佐祐理さんからの思いがけない申し出に、歳三と一が戸惑う。
「そ、それは準備のいい・・・」
「しかし、総司の奴に滋養を付けるにはちょうどいい。」
「だが、総司は獣肉は苦手だったと思うが?」
「無理にでも飲ませる。俺たちが喰えば文句は付けられまい。」
当時からすれば、獣肉は臭いがきついので好事家以外はあまり食さない。
それは歳三たちとて同じのはずであるが・・・
「舞は獣肉は好き?」
「・・・嫌いじゃない。」
舞の言葉に、一同ホッとする。
この時点で、獣肉の収まる先は決まったといってよい。
もっとも、舞が好きな食べ物も嫌いな食べ物も、誰も知らないのだが。
ものの好悪を出さない性格らしい。
「そうとなれば、日が暮れねえうちに行くとするか。」
「今の刻限なら良順先生が来ているかもしれない。獣肉は良順先生からも薦められているから都合がいい。」
総司は神田和泉橋の医学所にいる。
医学所の人間も段々と減ってきており、総司も寂しかろうはずである。
束の間の平和を、せめてこの透き通ったような好青年の為に使いたい。
歳三は武州の悪ガキの目をしながら、そう思うのだった。
新選組ができる前、京都へ向かうときに総司の姉に歳三は総司のことを頼まれている。
現在、総司のそばには姉夫婦が付いているのだが、歳三にとってはその約束はまだ続いている。
だが・・・再び薩長との戦いが始まれば、おそらく総司の臨終に居合わせることはできまい。
「よし、とっとと行くぞ。」
歳三は急にわき起こった感情を振り払うかのように歩き出した。


その新選組を預かっていた会津藩の上屋敷では、血の気多き男達が集まって会談をしている。
見方によってはそうそうたる面々である。
元京都守護職の会津藩主松平容保、その弟で元京都所司代の桑名藩主松平定敬、
会津藩江戸家老遠野凪右衛門、伏見での会津軍指揮官佐川官兵衛、
他、会津と桑名の面々が一間下がったところでぞろぞろと居並んでいる。
「桑名藩が降伏したというのはまことなのか?」
「どうやら・・・国許からの知らせではそうらしい。」
桑名藩主がうなだれる。
先述した大坂脱走貴族の一人だった、この藩主は兄同様後悔しながらも、徳川家を守ろうと必死だ。
その脱走も影響したのだろうか、
国許の者達(ほとんどが恭順派)は藩主の意向を聞くことなく新政府に降ってしまったのだ。
江戸にいた主戦派の桑名藩士たちは呆然とした。
徹底抗戦を唱えている彼らには、帰る場所がなくなってしまったのだ。
「ううむ・・・だが、再び我らが攻勢に転ずれば、自ずと寝返るだろう。」
容保はそう言ったが、それはなにも桑名に限ったことではなく、
新政府方の諸藩全てに言えることである。
誰もこのままあっさりと新政府が勝つなどとは思っていなかった。
それどころか内部問題の多い新政府はじき崩れると思われている。
一度、新政府方が劣勢になれば、雪崩をうったように諸藩は寝返るだろう。
あわよくば、錦旗も奪い返せるかもしれない。
そうなれば、朝敵の汚名も晴れ、容保たちも何ら気兼ねすることはなくなるのである。
「ですが・・・」
そこに声をあげたのは、顔の半分を白布で覆った男、佐川官兵衛である。
伏見では新選組と共に戦い、一歩も退くことのなかった猛将である。
「上様がお出ましにならなければ、反攻に移ることもかないませぬかと。」
「上様な・・・」
上様、つまり将軍慶喜公は江戸に逃げ帰った後、上野寛永寺に謹慎している。
月代も剃らず、ひたすら恭順の姿勢を見せているという。
慶喜は、容保や定敬以上に朝敵になるのを恐れている。
「幕府歩兵達も、上様がお出でにならなければとても戦うまい。」
鳥羽・伏見で幕府歩兵の士気の薄さをつぶさに見てきているだけに、その言葉には重みがある。
佐川からすれば、ここで怒りの一つでもぶつけてやりたい気持ちである。
「陸軍の松平太郎殿や、海軍の榎本武揚殿が何とかしようとしているそうだが・・・」
容保が期待と憂いをこめた言葉を吐いては見たが・・・
「上様の周りの者が、徹底恭順を申し上げているそうだ。」
「それよ。しかも信頼の厚い者の言葉だから、上様も何かに付け信用されてしまう。」
「それも、有能さでは衆目の一致する、という者だ。」
この言葉の裏には、幕閣の無能さを指摘しているところもある。
大政奉還をした以上、徳川家は諸大名と同格である。従って、幕閣も徳川の私的な機関でしかない。
そうなれば、老中連中は単なる徳川家の執事でしかないのだ。
そこに就く人材もまた、能力の疑わしい旗本八万騎の中から選ばれることとなる。
今、要職と言えるのは、軍隊を掌握している陸軍、海軍の御役目である。
そして、こちらには旗本の中でも早くから教育を受けてきた有能なエリートが選ばれている。
貧乏御家人だろうが、軽輩者だろうが、お構いなしだ。
そして、恭順派にもこの連中がいる。中でも勝海舟は陸軍総裁という大物である。
「我らとて、徳川が許され、朝敵の汚名を着ることもなければ戦う気はない。」
「既に政権は朝廷にお返し申し上げておりますれば、敢えて討伐することもござりますまい。」
「だが・・・薩摩がどう出るかな?」
「ううむ・・・」
薩摩の強引さには、全く驚かされるものがある。
薩摩藩は江戸で浪人たちを暴れさせ、幕府に薩摩討伐を無理矢理やらせたのだ。
その結果が鳥羽・伏見の戦いとなったわけだが、それを望んだのは薩摩を中心とした一部の急進派だけである。
大部分が反対する中、薩摩藩は強引で卑劣とも言える手段で幕府をうち負かしたのだ。
(このようなことが許され、しかも上手くいくのか?)
世間はそう思っているが・・・
「それも・・・時勢・・・」
瞑目していた遠野が、ぽつりと呟く。
結局、そういうことなのだろう。
時代が必要としているから、世の中がそう流れているから、としか言えまい。
あくまでも結果論に過ぎないが。
「時勢・・・か。嫌な言葉だ。」
「本当に時勢が敵にあるのかどうか、あくまで討伐するというなら我らで目にもの見せてくれようではないか。」
「幕軍の蔵には仏蘭西製の最新兵器が眠っている。いざとなったらそれを持ち出す。」
「ここに奥羽諸侯も同調なされば、たちまちにして数万の軍勢が作れましょう。」
恭順姿勢ながらも士気が高ぶり、立ち上がりかけた三人に、
遠野が座したまま、再び呟く。
「大将のない戦に・・・意味はあるのでしょうか?」
「・・・・・・・・・」


陽光もあまり射さない一室、一人の男が座っている。
部屋は暗いが、外は真っ昼間である。光を求めようともせずに、男は静かに、ただ座っている。
廊下を歩く音が聞こえる。
その音はこの部屋の障子の前で止まり、そこに映った影がしゃがみ込む。
「上様、よろしいでしょうか?」
「勝か、入れ。」
「御無礼致します。」
障子をするすると開け、滑り込むように入ってきた男、この男こそ陸軍総裁勝海舟である。
見た目は陽気な江戸っ子気質の男であるが、「油断ならぬ男」である。
長州征伐の時、長州の指揮官が村田蔵六こと大村益次郎であることを聞き、周りにこう言ったという。
「大村とは、あの蘭書読みか。それでは幕府に勝ち目はあるまい。」
当時長州ですら無名だった村田蔵六の能力を見抜いていた男は、この男の他に幕府方にはいない。
というより、長州藩内にすらほとんどいなかった。
しかも、勝は直接蔵六に会ったわけではない。
幕府の蕃書調所で蘭書翻訳を手際よく片づけていたのを耳にしただけである。
一体、どのような見解でこのような予言をしたのかは分からないが、その眼力の凄さがわかるというものだ。
だが、奇妙なことに、「油断ならぬ男」といったのも、村田蔵六である。
お互いに会ったこともない人物に対して奇妙な評価をし、
そして、後々互いに憎みあうのである。この辺りは稿を改めて述べたい。
「御気分はいかがでしょうか?」
「うむ・・・悪くはない。」
答えた男は、紛れもなく十五代将軍徳川慶喜である。
だが、今は月代も髭も剃らずに、一種浮浪者のような観さえある。
となれば、ここは謹慎先の上野寛永寺ということになる。
「勝よ・・・」
「はっ」
「これで、いいのだな?」
おそらく謹慎のことだろう。
「もちろんでございます。上様が今の如くなさっておられれば、朝敵の汚名も消え、平和に御一新となりましょう。」
「だが・・・容保たちは・・・」
「会津中将様や幕軍将校ら、とりわけ新選組の存在は、江戸にとって危険極まりないことにございます。」
「長州や土佐の者たちの怨恨を刺激すると申すか。」
「左様でございます。早く手を打たねばなりませぬ。」
「だが、容保たちはともかく、陸軍や海軍の者は収まるまい。薩長の軍勢と一戦交えるとしか思えぬ。」
「されど江戸で戦いをするようなことにならば、大変なことになりまする。」
「それは分かっておる。だが、今抑えるのは・・・」
「今、抑えねばならぬのです。薩長が来るのは目前に迫っております。」
「馬鹿な。今の薩長がすぐに江戸に軍勢を送ることなど叶うまい。」
「いえ、間違いなく幾月かのうちに薩長は参ります。一刻の猶予もなりませぬ。」
「勝よ・・・なぜ、そのように思う?」
「薩長にも時勢を読むことのできる者がおらば、必ず参ります。」
「・・・わかった。やはりそなたを信じることにしよう。」
「ありがたき幸せにございます。」
「だが・・・いかにして江戸の戦を回避するつもりなのだ?」
「それにつきましては、拙者に妙案がござりまする。」
「妙案とな?」
「はっ。つきましては手始めに・・・・・・」
「・・・・・・な、なんと!? そ、それは・・・いや、左様なことはできぬ、できぬぞ!」
「江戸庶民の為、徳川宗家の為、ひいては日本国の為でございます、ご決断を!」
「うう・・・」
元将軍は、狼狽していた。
この薄暗い部屋で、一つの歴史的決断がなされようとしていた。至極、残酷な。


勝の言う時勢を読める者、それは確かにいた。
それは幕府方にとっての最大の不幸といってもいいかもしれない。
この男がいなければ、幕府が朝敵になり、鳥羽・伏見でおびただしい血を流すこともなかったろう。
だが、逆にこの男がいなければ、革命は中途半端で終わり、
別の良からぬ結果を生みだしていたかもしれない。
まあ、歴史に「もし」は禁物だ。深くは考えまい。
・・・というわけで、この男、薩摩藩士である。
昔は藩内の異分子であり、藩主から蟄居を命ぜられたこともある。
だが、今は一転して藩を牛耳る大物である。同時に新政府の首脳でもあるこの男、
その名を、西郷吉之助隆盛という。
薩摩藩士からは神の如く崇められ、他藩からも尊敬の眼差しをもって見られている。
・・・ただ一つ、長州藩を除いては。

(薩摩め、勝手な真似を・・・)
京の長州藩邸にて、ぼやく者がいる。
木戸準一郎、元の名を桂小五郎、新政府の政治首脳の一人である。
(公卿どもを抱き込みおって、政府を私物化するつもりか?)
木戸は西郷という男が嫌いである。というより、薩摩人が肌に合わないのだ。
当時、薩摩人とはまるで異国人のように違う人種なのである。
操る薩摩訛は隣国人にすら聞き取れず、頭の中には他国に類を見ない奇妙な思想があるのだ。
詳しい説明は避けるが、長州からすれば清国人よりもかけ離れた人種なのかもしれない。
・・・それで、木戸が悩んでいるのは薩摩の専横についてである。
薩摩というより、西郷と大久保と言っていいかもしれない。
ともあれ薩摩は薩長方の公卿とつるみ、政治を操ろうとしている。
まだたいして表面化しているわけではないが、既に他国人からは反感を持たれ始めている。
長州は常に薩摩を兄貴分に立て、今までやってきた。
実際、京都を制圧したのも薩摩の力が大部分であり、表面に立っているのも薩摩である。
だが、薩摩は長州が朝敵となっていた蛤御門の戦いには幕府方として戦っていた藩である。
つい最近までも、幕府方は敵味方の判断が付かず、なるべく薩摩を刺激しないように努めてきた。
長州と薩摩との間には、政治的な軋轢もあるのである。
おまけに幕府方の方針は思わぬ副産物をもたらした。
長州と土佐は、新選組や見廻組に人材を多く斬られ、新政府を構成するに足りる人材が少なかった。
対して、新選組には薩摩藩士は斬るなという命令が出ていたので薩摩方はほぼ無傷である。
自ずと新政府の構成員も薩摩が多くなるというものだ。
これに加えての公卿抱き込みである。
現在の新政府政治首脳は、
薩摩の西郷吉之助、大久保一蔵、小松帯刀、土佐の後藤象二郎、長州の木戸準一郎といった具合で、
ここに公卿の岩倉具視、三条実美などが加わっている。
この岩倉具視、今までも様々な陰謀を張り巡らせてきた男で、
古くは公武合体派として和宮降嫁、最近は長州の朝敵取り消しにも関わっている。
この公卿は大久保一蔵に同調しており、完全に薩摩側の人間である。
諸藩の勢力分布も一応書いておこう。
いわゆる薩長土肥の中で、鳥羽・伏見の戦いに参加したのは薩摩の三千と長州の一千である。
志士活動においても表立っているのは、この二藩に土佐藩を加えた三藩である。
肥前の鍋島家は、国内初の反射炉を建造した藩であり、洋式兵学ではもっとも進んだ藩といって良い。
藩政改革にも成功しており、財政的にも豊かな藩である。
だが、新政府の政治面ではそれほど大きな力があるわけではない。
土佐では、藩主の山内容堂は公武合体派の流れを組む勤王佐幕主義者である。
従って、倒幕論者の薩摩藩と岩倉具視とは激しく対立している。
しかも藩内でも元から上士と下層部の間の仲が険悪である。
もっとも、藩主の方も下層部に対する理解があり、最近は、その対立はなりを潜めている。
下層部の者は、新選組に京都で大勢斬られたこともあり、新選組をもっとも憎んでいる。
従って、薩摩に同調する過激派が多い。乾退助などは上士ながらこちら側の大物である。
そして、一番致命的なことには、薩長土肥の中でもっとも貧乏な藩ということである。
現在では江戸までの兵糧すら買えないほどで、ほとほと困り果てている。
「今、その江戸に攻め入っても、勝てるか。」
木戸はそう自問する。
答えは否だ。
江戸まで攻め入る資金力がないのだ。薩摩、いや西郷と大久保はそれでも江戸入りを主張している。
一方、長州方にも意見がある。
新政府には私有の軍隊がない。今の軍隊は各藩がそれぞれに擁する連合軍だ。
当然、各藩の軍勢の間に協調性というものがない。
だからまず先に新政府の軍隊を創るべきだと長州は主張する。
大村益次郎も同じ意見である。
この意見には、軍事において薩摩が権力を一手に握ることを恐れるところもある。
だが、今日の会議で江戸攻めは決定事項となっている。
情けないことに新政府の資金は大坂商人から徴収しているのだが、
いかに富豪といっても商人から巻き上げた金で一政府を支えることなどできまい。
そこで収入源として目を付けたのが、徳川家の領地だというわけだ。
妙なことに、財政難が徳川追討を早める結果となったわけだが、
その戦費のひねりだしをするのは、各藩ということである。
幸い薩長には江戸を攻める分の金はある。だが・・・
「薩摩め、これ以上の独断専横は通らぬと思え・・・」
木戸はさっきから呟いてはいるが、人前ではこのようなことは言わない。
あくまでも薩摩を兄貴分に立てる、これが長州の絶対方針なのだ。
本来なら江戸攻めの軍勢の指揮官に大村を推薦すべきなのだが、長州は敢えてそれをしない。
薩摩の力がなければ、新政府などたちまち瓦解してしまうのだ。
口に出せないが、心には溜まる。
木戸はここのところノイローゼ気味である。
前から気鬱しやすい性格ではあったが、ここのところはそれがさらにひどくなっている。
「はぁ・・・やはり、あの男を呼ぶしかないか。」
木戸は天を仰ぎながらやや大きめの声で呟いた。
江戸攻めが決定した以上、新政府の軍隊を早急に創らねば、薩摩の力をますます強めることとなる。
当然、そこには軍事の専門家が必要である。
「おい、誰かいるか?」
木戸は奥にそう声を掛ける。
「はっ、何でございましょう?」
「これより国許に書状をしたためる。すぐに送ってくれ。」
「承知いたしました。して、届け先はどなた様で?」
「うむ、村田・・・いや、大村益次郎殿だ。」
ついに、この男が戊辰戦争の舞台に上がろうとしていた。
旧暦一月も終わろうとしている。


「舞、雪うさぎなんて作ってどうするの?」
「・・・・・・沖田さんに見せる。」
「そんなに一杯か?」
「大体、どうしてまた雪うさぎなんかを・・・」
「・・・雪うさぎさんは、病に効くって言われたから。」
「誰がそんなことを・・・」
「・・・・・・・・・覚えてない。」
「舞は面白いことを知っているんですよ。私よりも物知りなんです。」
「いや、それはどうだかな・・・」
「ひょっとして、川澄君の国ではそういう風に言われているのか?」
「・・・・・・」
「・・・・・・」
「え・・・何で、倉田君まで黙るんだ?」
「あ、あはは・・・何でもないです。」
「まあ、そういう習慣があっても面白い。」
「それは言えますね。」
「おっと、着いたぞ。・・・総司、起きてるか?」
「あ、土方さん。あれ? 大八車一杯の雪うさぎで見舞いだなんて、粋ですね。」
「俺の趣味じゃねえよ。ま、とりあえず中で話すさ。」

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