第二講義「大日本帝国戦車を知る! 其の一」

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周知の通り、太平洋戦争時の陸軍機甲戦力は劣弱だった。
だが! その中にも技術者たちが汗水流して考えた苦労があるのだ!
今回は、越人様とのリンク記念として、九七式中戦車系列を中心に取り上げる。


九七式中戦車(チハ)

旧日本軍戦車の代表というべき戦車であろう。全戦車の中で最も多くの戦場を駆けた戦車である。
一六〇〇両ほど生産され、まさに代表的主力戦車である。
特筆すべきはエンジンである。世界初だったか、本格的な戦車用ディーゼルエンジンを使用しており、
V型十二気筒空冷一七〇馬力、子燃焼室式というもので、世界水準をはるかに上回るものであった。
先代の八十九式中戦車にも世界初のディーゼルエンジンを積んでいたが、これは自動車用を改造したものである。

主砲は九七式五七ミリ戦車砲を、九七式改には一式四七ミリ戦車砲を使用。
砲口直径が小さくなっているが、長砲身のため初速が早く、貫徹力は高かった。
数字的には五百メートルで八〇ミリの貫徹力があり、狭い車内での操作性を向上させている。

外形は被弾率低下のため低姿勢にしてあり、無線用に円形アンテナを装備している。
特徴的なのは、砲塔が右側によっている点で、なかなかユニークな形状である。

重量 十五・八トン  全巾 二メートル三三センチ  全長 五メートル五十センチ  全高 二メートル三八センチ
車体前面装甲 二五ミリ 側面 二十ミリ  砲塔装甲 二五ミリ
最高速度 三八キロ毎時  航続距離 二一〇キロ
やはり列国の主力戦車にはやや見劣りがする内容と言える。

この戦車の戦歴は非常に多く、全ては取り上げられない。
中国戦線から太平洋戦域まで幅広く活躍したこの戦車は、
ノモンハンで二両が初投入された後、
九五式軽戦車などとともに配属された第五連隊第三中隊は、
マレー英軍が三ヶ月は防御できると誇っていたチャンルン・ジットラ防御戦を、
わずか一日で突破したといわれる。
軽戦車と軽装甲車との連携が生んだ大勝利と言える。

だが、やはりその戦績の多くは悲劇的な敗戦が多かった。
ルソン島では戦車第二師団が二百両を投入。(一部、一式中戦車)
だが、相手の米軍の第八軍には、恐るべき第二十機甲群が配属されていた。
これはM3四十口径七五ミリ戦車砲を使用するM4系列の中戦車を中心に、四百両以上が投入されていた。
その砲の性能は五百メートルで貫徹力七十〜九十ミリとされ、たやすく九七式の装甲をうち破った。
その上、九七式の主砲ではM4戦車の想像をはるかに超えた重装甲には歯が立たなかった。
それもそのはずで、米軍戦車は対ドイツ戦車を想定してつくられており、
主砲も装甲も非常に強力につくられていたのである。
結果、一八〇両が撃破され、ルソン島の戦車師団は壊滅した。

サイパン島では既に絶望的な戦況の中、第三一軍唯一の機甲戦力として戦車第九連隊が配置。
これは三三両の九七式中、九両の九五式軽、計四四両で編成され、主力機甲戦力となった。
対する第五上陸作戦軍団は、第二、第四海兵師団、第二七歩兵師団であり、
機甲戦力は一五四両のM4系中戦車、M5系軽戦車で構成する圧倒的なもので、
おまけに歩兵には携帯対戦車兵器として七六インチ・ロケットまで装備され、
二九両が撃破されたといわれる。
この二つの島は九七式中戦車の終焉の地となった。

以上、この戦車は貧弱な機甲戦力のために、
米軍の上陸を阻止できなかった敗戦の悲劇の象徴となったのである。

一式中戦車(チヘ)

九十七式を改修したもので、昭和十五年に制式化。昭和十八年〜十九年にかけて一七〇両が生産された。
この戦車の大きな変更点は、砲塔と車体の前面装甲を五十ミリと格段に増強し、車体を全て溶接方式にしている。
さらに、エンジンを一〇〇式十二気筒空冷ディーゼル・エンジンに変更。
このエンジンは戦闘車両のエンジンの規格を統一して部品に互換性を持たせ、整備側には非常にありがたいものであった。

主砲は九七式改と同様、一式四七ミリ戦車砲を搭載。車体性能の方は大幅にアップしている。
重量 十七・二トン  全巾 二メートル三三センチ  全長 五メートル七三センチ 全高 二メートル三八センチ
最高速度 四四キロ毎時  航続距離 二一〇キロ
重量の増加は主に装甲によるものである。

この戦車は軍部には九七式に変わる主力戦車と見られており、
本土決戦用戦車二コ師団の主力戦力として装備されていた。
生産量からわかるとおり、それほど戦場で見受けられたものではなかったが、
戦車第一、第二、第三、第四師団、ジャワ島方面へ転戦した第四連隊に装備されていたといわれる。

戦後、陸軍の解体式に参加した戦車の主役はこの一式中戦車であり、
最も目だったのがこの時と思われる。

三式中戦車(チヌ)

九七式系列の最終形態。昭和十九年に生産開始のため、実戦投入機会はなかった。生産量は一六〇両。
一式との主な変更点は、何と言っても主砲である。
砲兵用の九十式野砲を三式戦車砲に改造して搭載しており、
七五ミリ長加農砲という、従来の戦車砲とは群を抜く威力を誇った主砲であった。

この砲は強力な米軍戦車に対抗して作られたもので、
最大射程一四〇〇〇メートルでM4戦車の全面装甲(五一〜七六ミリ)を貫徹可能であった。
一方、砲座後退を緩和する砲口制退機が付けられてはいたが、
発射時に発生するガスが後方に吹きだし、連続射撃を行うと砲手が鼻血を出すほどであった。
また、この砲のために砲塔が大型化したため、砲塔の機銃が廃止されている。

この戦車は本土決戦用に関東地域の戦車連隊に配属された。

近衛府へ

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